2014年1月にはロサンゼルス講演会が終了後、私が運転する車で、8時間かけてサンノゼでの講演会にも出向き、次の日には慰安婦像設置計画があったクパチーノ市役所に藤井厳喜氏と出向き、市長と1時間面談し、慰安婦像設置を阻止したこともある。このクパチーノ市は、アップル社の本社があり、世界抗日連合会の本拠地があるので、阻止できたことは大きな前進だったと思う。

 また2009年に、日本では民主党政権が誕生した。だが、この党は言っていること、やっていることは党名とはかけ離れ、危険な匂いがする政党だった。それまで、なぜかメディアのミスリードや印象操作によって、民主党に風が吹き、勢いづいてきたことに当時の私は危機感を覚えていた。多くの日本人がなぜ民主党を応援するのか理解できなかった。

 私の祖国が国柄を失い、壊されていくことを阻止しなくてはいけないと、言論活動にも力が入ってきた。私が恐れていたことが現実のものとなったのは2011年東日本大震災が発生し、同時に原発事故が起こり、日本が大パニックに襲われた時だった。

 当時の民主党政権の対応は、やることなすことまるで素人で、状況をひどくするだけだった。国益を失い、鳩山政権、菅政権では世界中から信用まで失ってしまった。

 前述したように私は20数年前から言論活動をスタートしているが、特にここ10年はアメリカで、韓国系との竹島問題での衝突や、慰安婦像や慰安婦碑設置阻止に動き回っていた。全米、世界各地で計画が上がり、日韓合意後もその勢いが変わることはなかった。

 米国のグレンデール市でも慰安婦像設置の計画が発表され、公聴会があった。私も公聴会で発言したが、もうすでにこの時には慰安婦像設置に向けた計画が進められていた。公聴会は反対する人たちに発言のチャンスを与えたというアリバイづくりでしかなかった。

 この時期は私生活でも色々あった。2年半、仕事をしながら自宅で母の介護をしていた。同時期に私が重度の糖尿病と診断された。そんな肉体的にも精神的にもシンドイ頃、私はボランティアで日米を往復し、慰安婦問題の解決に向かって動き出した。

2009年8月、民主党の衆院選開票センターで、候補者の名前のボードに当確のバラをかざる鳩山由紀夫代表(左)と平野博文党役員室長(早坂洋祐撮影)
2009年8月、民主党の衆院選開票センターで、
候補者の名前のボードに当確のバラを飾る
鳩山由紀夫代表(左)と平野博文党役員室長(早坂洋祐撮影)
 母の介護、訪日で仕事も調整しなくてはいけなくなり、その結果、収入も大幅にダウンした。その上、訪日時は有料の介護スタッフに定期的に自宅に来てもらわなくてはいけなかった。

 だが、私にとって慰安婦問題などの嘘やデタラメは我慢できなかったのだ。それ以上に先人、英霊、ご先祖様の名誉、尊厳、功績、信用、誇りを汚す行為が許せなかった。

 私の動きが少し、関係者に知れ渡るようになると、多くの日本人からは励ましの言葉をいただけるようになった反面、一部の人は私に対して、呆れているようだった。母親の介護を放棄して、そんなことをやっている場合じゃないだろうと、時折、私の優先順位に対して皮肉っぽい声が遠くから聞こえるようになった。いいのだ、誰がどう思おうが、私は自分の信念を貫くだけだった。