ロサンゼルスのコリアタウンの面積はリトル東京の数倍はあって広大だ。当時はアップタウンと言って、日系人も多く住んでいた。私も1965年から70年まで母と一緒にこの地域近くで洗濯屋を切り盛りしていた。私が中学~高校生の頃だ。当時、シーツなどを配達していた安ホテルは、今は韓国系のホテルになっている。

 その当時は韓国人の数は少なく、目立った活動は何もしていなかった。洗濯屋の真向かいに30代後半の韓国人女性がカツラ屋さんを営んでいたが、これが当たって彼女は成功者になった。よく暇つぶしに、洗濯屋に遊びにきていた。片言の日本語を話して「おばさん、おばさん」と、そんなに年が違わない母をそう呼んでいた。

 1975年頃から、韓国人が目立って増え始めた。彼らの多くはベトナム戦争でアメリカ軍と一緒に戦った元韓国陸軍出身の退役軍人だ。彼らは優先的に永住権の取得を認められており、それも韓国人が増え始めた一因だろう。

 彼らはまず家族で、サンフランシスコやロサンゼルスでアメリカ生活を始め、やがて兄弟や両親、叔父、叔母、従兄弟まで呼び寄せる。当時の韓国人には経営の知識も経験もなかったのか、事業においてもサービスという概念さえ身に付いていなかった。彼らは隠しているが、儲けが少ないと奥さんが夜の街で売春婦をするような生活をしていた……と何人かから聞いたことがある。

 そんな過去のキズを持つ韓国人は、日本人と親しくなると「こうなったのもすべて日本に責任がある」と、今までの生活に対する恨みツラミを爆発させた。当時の日本人はそんな韓国人も受け入れていたが、時間が経つにつれ、敬遠するようになっていった。そりゃあそうだ。あれだけ罵られると、いくら心が広い日本人でも不愉快になるのが当然である。

 1985年頃になると、事業に失敗した韓国人たちが新天地を求めて西海岸から逃げるように東海岸へ、同じく東海岸で事業に失敗した韓国人が逃げるように西海岸へ移り住んだ。この頃からロサンゼルスのこの地域がコリアタウン化し始めた。80年代には多くの韓国人商店が倒産し、融資した銀行への返済を怠ったことで、多くの銀行が倒産に追いやられた。

 しかし、彼らの好き勝手なビジネス手法や他人種に対する見下した姿勢に、非難の声が上がり始めていた。この時期、リトル東京も再開発が進み、かつての活気を取り戻そうと関係者は躍起になっていた。

 この頃のアメリカ人は「日本人か韓国人か、靴を見ればすぐわかる」と言っていた。それだけ、韓国人と日本人の外見の差が歴然としていたのだ。その後1992年の黒人暴動で、韓国人の人種差別が世間に知れ渡った上、韓国経済が危機に直面していった。

 2000年を少し過ぎた頃から、韓国系は自信を取り戻し始め、ロビー活動の重要性に気づき始めた。彼らは自分たちのコミュニティーを立て直すために、日系社会を利用しようと動き出した。

 最初は黒人暴動で黒人コミュニティーや黒人を差別し、蔑視していたことに対して、反省のポーズと行動を起こしていた。その頃から韓国経済の上昇と共に自信過剰になり、同時期からロビー活動が盛んになった。

 米国での慰安婦問題は1998年頃から聞こえ始め、2005年ぐらいからエスカレートしていったように思う。70年代、80年代はおとなしくしていた人たちまで巻き込んで、2010年以降は病的におかしくなってきた。
米ロサンゼルスのコリアタウン(ゲッティイメージズ)
米ロサンゼルスのコリアタウン(ゲッティイメージズ)
 ロサンゼルスの韓国系が、海外で一番大きい韓国コミュニティーのコリアタウンに慰安婦像を設置しないのを、私は不思議なことだと思っていた。おそらくそれは教会の判断かもしれない。韓国系社会では教会の影響力が大きい。

 教会関係者はコリアタウンの治安の悪化、売春婦の増加が社会問題になっていることを危惧(きぐ)している。もし、慰安婦像が建立されれば、街のイメージがより悪化し「売春婦像」と揶揄(やゆ)されることを恐れているようだ。