山岸純(弁護士)

 性犯罪事件の報道において、その犯人の「属性」がニュースバリューになることが多々あります。

 犯人の「属性」が、「慶応の学生」「イケメン俳優」「〇〇区役所の課長」「〇〇テレビの局長」「誰々(著名人)の次男」などといったように、より世間体を気にする必要があったり、世の中でもてはやされているような職業であったりする場合、それが性犯罪事件とともに伝えられることで、より人々の耳目を集めるわけです。

 そして、その後のニュースで「不起訴」と報道されると、世の中はさらに疑問の声を上げることになります。

 このような時、必ず巻き起こるのが「親がどうのこうのだから」「カネがどうのこうのだから」といった憶測です。そして、これらの憶測のほとんどが的を射ています。

 実は、性犯罪の犯人が起訴されるか否かは、よほど大きなケガをさせていない限り、「カネ」を払って許してもらえるかどうかによります。

 要するに、被害者が許してくれるだけのカネを払えるなら、そこで「示談」が成立するわけです。当たり前ですが、被害者が「1千万円もらっても犯人を許さない」という態度であれば「示談」は成立せず起訴されるでしょうし、「示談」に応じるということは、「カネを受け取る」=「許す(処罰を求めない)」ということなので、この場合は不起訴になります。

 言い換えれば、被害者が「カネは受け取るが許さない」ならば、犯人も「カネは払わない」のであって、「カネを受け取る」=「許す(処罰を求めない)」は極めて密接な関係にあるのです。

 犯人を起訴するか否かについて独自の考えで判断できる「検察官」は、この辺りを見極めています。被害者がカネを受け取り、処罰も求めていないのに、わざわざ正義を貫く(起訴する)必要もないと考えるわけです。
※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ)
※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ)
 ところが、このような「仕組み」について、国民はなかなか納得できないでしょう。「(親などの)カネの力で解決した汚いやつ」というレッテルを長い間貼られることになります。

 しかし、批判を覚悟で言うならば、先ほどの検察官の考え方も含め、「法学」という世界においては、「カネ」で解決することは至極当然のことと考えられています。「性犯罪」に対する国民感情と法律の世界にはギャップがあるのです。

 なぜなら、現代社会のほとんどの国は、刑事事件においてメソポタミア文明の象徴である『ハンムラビ法典』のような「犯罪に対しては同じ苦痛を与える」という制度を採用しておらず、また民事事件においては「被害の回復はカネによる」と明文化されているからです(民法709条)。