碓井真史(新潟青陵大学大学院教授)

 刑法の目的は犯罪の予防です。刑法それ自体は、犯罪被害者のためにあるわけではないでしょう。被害者一同が加害者を許してほしいと懇願したとしても、だからといって無罪放免にはなりません(親告罪は別ですが)。また、被害者が事件を思い出すことがとても苦しい時にも、警察や裁判所は事情を聞き、証言を求めることもあります。

 性犯罪は、残虐な犯罪です。レイプだけでなく、客観的には軽微な犯罪ですら、時には被害者の一生を左右するほどの心の傷を残します。心的外傷後ストレス障害(PTSD)で苦しむ人もいます。すっかり自信をなくす人や、男性と交際できなくなる人もいます。二次的問題として、学校や仕事を続けられなくなることもあります。

 このような性犯罪に対しては、世間の怒りも強くなります。実際に刑法上も厳罰化の方向で改正が進み、強姦(ごうかん)罪も「強制性交罪」となって、他の多くの犯罪と同様に非親告罪になりました。非親告罪は、被害者などが訴えなくても、法的に罪が問える犯罪です。

 多くの犯罪被害者は犯人逮捕を願います。窃盗犯が捕まって盗まれたものが返ってくればうれしいですし、そうでなくても、犯人逮捕によって応報感情が満たされ、心の癒やしにつながることも多いでしょう。だから、被害者は進んで被害を訴え、加害者が起訴されることを望みます。

 しかし、性犯罪は必ずしもそうではありません。あなたが被害者だったり、被害者家族だったらどうでしょうか。

 黙っていれば誰にも知られませんが、警察に届ければさまざまな困難が予想されます。警察は、犯人逮捕のために細部にわたって事情を聞きます。証拠を確保するために、体を調べられたり、下着を提出したりすることもあります。

 裁判も苦痛でしょう。刑事裁判では、推定無罪のもと、検察が犯罪を立証しなければなりません。被害者は、「供述の信用性」をめぐって厳しい尋問に晒(さら)されることもあります。マスコミに報道されれば、たとえ実名はでなくても、大きな負担になるでしょう。性犯罪被害者は、被害を訴えることによって、「セカンドレイプ」と言われるような、さらなる被害を受ける可能性があります。
※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ)
※写真はイメージ(ゲッティ・イメージズ)
 世間の人たちは、犯罪に興味や関心を持ちます。特に被害者が若い女性だと、世間の関心は被害者に向きがちです。被害者は、好奇の目で見られ、プライバシーが暴かれてしまうこともあります。

 それでも被害者は訴えるべきでしょうか。私たちの社会は、加害者を罰し治安を維持するために、起訴し裁判を開くべきでしょうか。