その「返還合意」発表の96年4月12日。この歴史的な一日の動きを、改めて私の日記で再現してみたい。

 18時半。総理から沖縄県知事に電話。

 「今夜モンデール大使とギリギリの交渉をする。そのためには、今ある基地とは別の所にヘリポートをつくらなければならない。アセスの実施や地主の協力を得るためには県の協力が得られなければとてもやれない。それだけは約束を。交渉の中味は死に物狂いでやるが、どうなるかわからない。普天間を何とかするために全力を尽くす。県が全力を挙げて協力してくれないと後が進まない。古川官房副長官を中心にチームを作るので県も参加してほしい。私は、外務省、防衛庁、他の閣僚も飛ばしてやろうとしている。それだけの決心だ。県内に適地を探す、また本土の基地を含め、緊急時の使用も検討する」

 これに対し、大田知事は、当初は「県の三役会にかけなければ」と口を濁していたが、「そこまで総理が言われるなら、できるだけのことをやります」

 その後、モンデール大使と執務室で会談。返還合意。終了後、外務大臣、防衛庁長官、渡辺嘉蔵、古川貞二郎両副長官が入り、総理より説明。

 「両大臣には申し訳ないが、私の責任で決めさせていただいた。各省庁には記者会見で知ってもらう」

 外務大臣「総理の決断に感謝。日本側としては誠実に対応し、あらゆる努力をしていきたい」。ここで総理が防衛庁の局長に問題点の説明を促す。

 防衛局長「アセスメントと地元対策に時間がかかる。跡地対策には原状回復と米軍への協力等が必要」

 19時。総理より沖縄県知事に再び電話。

 「今、大使と握手した。普天間基地は全面返還する。ここ5年から7年のうちに。条件は基地機能の維持。約束を果たしたことを認めてくれるか。そこでヘリポート問題。跡地について県の最大限の協力をいただきたい。各省庁にまたがる。古川副長官の下にタスクフォースを設置。そこに吉本副知事と調整官が入る。こうなれば、5-7年を1年でも早くするかどうかは私たちの問題。一緒にやろう」

 「知事に喜んでいただいた。国と県が協力していこうと確認した」と総理が同席者に。その後、総理に促されてモンデール大使と知事が英語で電話。知事は、突然、大使が電話に出て驚くも良いムード。モンデール大使「知事の最善の努力をお約束していただき、ほっとしている」

 20時より記者会見。「返還合意」をモンデール大使と発表。
1996年4月、沖縄の米軍普天間飛行場返還で共同記者会見する橋本龍太郎首相(左)とモンデール駐日大使
1996年4月、沖縄の米軍普天間飛行場返還で共同記者会見する橋本龍太郎首相(左)とモンデール駐日大使
 この会見後、公邸に先回りして待っていた私は、思わず、帰ってこられた総理とどちらからともなく抱き合い、喜びあったことを覚えている。その時は、大田知事も「総理の非常な決意で実現していただいだ。全面協力する」との声明を出したのである。

 ただ、普天間飛行場の返還は決まったものの、その移設先については日米交渉がデッドロックに乗り上げていた。移設先が決まらなければ返還も不可能となる。「普天間飛行場の代替機能を確保する」というのが条件だったからである。