エネルギー戦略で軍事力強化
プーチン大統領がウクライナを侵略したのは、ソビエト帝国の再建を夢みてのことだという見方が一般には有力で、アメリカの雑誌『タイム』は、「冷戦第二幕の始まり」などという特集記事も掲載している。ウクライナに対する軍事行動が、かつてソビエト連邦の有力国家であったウクライナを取り戻すためであったというのは、確かに分かりやすい解釈である。だがハドソン研究所の専門家たちは少し違う解釈をしている。
「プーチンがクリミアにある海軍基地を占領したのは、ロシアの黒海艦隊がその基地を自由に使えるようにするためだ。この基地を経由すれば、ロシア南部で生産される天然資源を、黒海から地中海への海上輸送路を使って、自由に運ぶことが出来る。狙いはウクライナの領土ではない」

ハドソン研究所の専門家は私にこう言ったが、ウクライナ制圧がプーチン大統領のエネルギー戦略を達成するためのものだったにしろ、ロシア軍特殊部隊の軍事行動は完璧だった。プーチン大統領は、特殊部隊に民間人の服装をさせ隠密行動をとらせたが、さらに巧妙だったのは、アメリカの誇る、衛星による監視体制を完全に騙しおおせたことである。
「ロシア軍がウクライナ侵略に動くという情報があったが、アメリカ軍はロシア軍の動きを探知することが出来なかった」
国防総省関係者がこう述べているが、後になって漏れてきた情報によると、世界中を監視しているコロラドの宇宙防衛司令部は、ロシア軍がどこにいるかまったく分からず、文字通り悲鳴をあげたという。当時プーチン大統領が陽動作戦として、ロシア軍にウクライナ国境付近で訓練を行わせていたため、アメリカの監視衛星は完全にめくらまされてしまったのだ。
大規模な軍隊を秘密裏に行動させるには厳しい訓練をしなければならない。アメリカの衛星が探知できない通信体制を維持することも必要である。ウクライナ侵攻にあたってプーチン大統領は、2万以上の大軍を動員したといわれるが、ロシア特殊部隊は完全な隠密行動をとることに成功した。
ウクライナのクリミア半島を軍事占拠する前の2013年1月、プーチン大統領は地中海でロシア海軍による大規模な軍事訓練をおこなった。主力になったのは空母「アドミラルクズネツォフ」を中心とする新鋭の機動艦隊で、ロシアがシリアに維持しているタルトス基地などから進出して来た艦艇と、ボスポラス海峡を越えて来た艦艇あわせて50隻以上が、冷戦時代にも見られなかったような大がかりな訓練を展開した。
私は冷戦の最中、「赤い潜水艦を追う」というNHKの特集番組を制作するためソビエトの潜水艦を世界中追い回したことがある。地中海ではナポリのアメリカ海軍基地から空母に同乗し、海底に潜むソビエト潜水艦を見つけたが、今やアメリカの艦隊は姿を消し、代わってロシアの強力な海上艦隊が地中海を制圧し始めている。
アメリカ軍の記録によるとロシア海軍は、2013年1月の大訓練の後も17回にわたって大がかりな訓練を展開した。プーチン大統領のエネルギー戦略にとって何よりも肝要なのは、黒海から地中海へかけての海上航路を制圧し、石油や天然ガスの新しい輸送ルートを確立することなのである。
ロシアから輸出される石油や天然ガスはその大半がドイツに運ばれている。私もテレビ番組のために詳しく取材したことがあるが、バルト海を越えてドイツに運び込まれたロシアの石油や天然ガスが、ヨーロッパの国々に売られている。このバルト海のルートは北方ルートとよばれている。ロシアはウクライナからポーランドを経由する南ルートを作ってはいるものの地理的に制約されている。プーチン大統領は、独自の石油天然ガス輸送ルートを黒海から地中海に確立してロシアの世界的な戦略的、経済的地位を確保しようとしているのである。やがてはアメリカと肩を並べる海上輸送体制を確保する野望を抱いている。
プーチン大統領のエネルギー戦略にとってもう一つ大切になってきたのは、北極の天然資源である。アメリカのエネルギー省のデータによっても、温暖化で北極の氷が溶け始めるとともに、地下にある石油や天然ガスなどの資源を開発する動きが活発になっている。世界の石油と天然ガスの30パーセント近くが北極海の底に眠っていると報告する資料もある。
そうした新しい天然資源地図のなかで、最も有利な立場にいるのがロシアである。地理的にもロシア領土の一部が北極圏にある。この地域には多くの油田が存在しているといわれる。その最大のものは、北極圏ぞいのシベリア西地方、さらに、東西のバレンツ海地方などのほか、サハリンにも広大な石油資源が眠っている。
アメリカエネルギー協会の情報によればロシアは、こうした大きな6つの石油天然ガス地帯の開発についてきわめて有利な立場にある。プーチン大統領は既に新鋭の砕氷船二隻を建造して北極圏に送り込んでいるほか、周辺の海上基地を強化しロシア艦隊を増強している。
プーチン大統領が2013年に地中海で、冷戦時代にもなかったような大規模な海軍訓練を展開したのにつづいて2014年8月、極東太平洋で上陸作戦をふくむ大がかりな演習を行ったのは、北極からの石油や天然ガスを輸送するための安定した航路を確立するためであった。
「北極からベーリング海を通り、日本列島ぞいに東南アジアに至るシーレーンはロシア経済を拡張するための、なくてはならないルートである。今後この海域のロシア太平洋艦隊を強化する」
プーチン大統領は、2014年はじめ、ロシアのテレビでこう述べたが、ロシア海軍は33隻の新しい艦艇を建造し、ウラジオストクを中心に太平洋艦隊を急速に強化する。
「プーチンによる太平洋艦隊強化の表れが、今度の極東太平洋における前例のない大規模な軍事訓練だ」
アメリカ海軍の首脳はこのように指摘している。
