プーチンは北方領土を返さない
ロシアがアジア極東の海軍力を増強し、日本とアメリカにとって新たな脅威になっていると懸念するアメリカ海軍の首脳が増えている。ラフェッド前海軍総司令官は、2011年3月、アメリカ上院歳出委員会の軍事小委員会でロシア海軍の脅威について警告した。この小委員会の内容は秘密になっている部分もあり全てが明らかではないが、私がよく知るラフェッド前総司令官周辺の専門家が次のように指摘している。
「プーチン大統領はアジア極東戦略を強化する重要な要素として日本との対決を明確にしているだけでなく、北方領土を日本に奪われないために海軍力を強化していると、アメリカ海軍関係者にもらしている」
アメリカ海軍専門家によると、プーチン大統領は今後、最新の原子力空母や潜水艦、戦車上陸用舟艇などを増強しウラジオストクに集結させる。またフランスから最新鋭のミストラル型強襲上陸用空母を4隻購入する計画をたて、そのうちの二隻をウラジオストクに配備することをすでに決めた。さらに、このミストラル型強襲上陸用空母に乗り込ませる海兵隊つまり、ロシアの海軍歩兵部隊の訓練をフランスに依頼している。
プーチン大統領はウラジオストクだけでなく、かつて日本領であった南樺太のユジノサハリンスクの海軍と空軍基地を増強している。さらに北方の千島列島先端にも太平洋艦隊のための海軍基地と空軍基地を作っているだけでなく、後方支援基地としてロシア本土沿岸地域に、数カ所の海軍基地と空軍基地を建造していることをアメリカ軍が確認している。
ウラジオストクから樺太、千島列島さらには、ベーリング海峡、ロシアの沿岸のロシア太平洋艦隊の基地が強化されたり、新たに作られたりすれば、日本にとって大きな脅威になる。とりわけ注目されるのはウラジオストクに配備される、ミストラル型空母を中心とする上陸用集団の強化である。アメリカ海軍の専門家はこう述べている。
「ロシアがウラジオストクを中心としてロシア太平洋艦隊を強化しているのは、軍事的に見るとアメリカの力の後退によって生じる力の真空をうめようとしているからである。この動きの背後には中国の軍事力拡大に対する警戒があるが、基本的には日本を敵視し、北方領土を返さないという決意の表明である」
ラフェッド前海軍総司令官の周辺にいる大佐クラスのなかには、次のような意見も出ている。
「ウラジオストクと樺太、千島の基地を自由に使うためには、ロシア太平洋艦隊が、津軽海峡や宗谷海峡をきままに行動することが必要だ。プーチンはロシアの歴史的な戦略構想に基づいて、北海道の占領も考えている」

ロシアの歴史的な戦略構想とは、第二次大戦後、北海道をソビエト領にしようとした当時のスターリン首相の野望をさしている。プーチン大統領は軍事力を増強してロシア拡大を敢行した独裁者ピョトール大帝や、失敗はしたものの世界的大艦隊を構想したソビエトのブレジネフ最高指導者も手本にしているといわれる。
1990年代、日本から資本を取り込むためにロシア政府の首脳が日本に積極的に近づき、北方領土返還をエサに日本との友好関係を作ろうとした時代は終わりを告げた。プーチン大統領が政治的立場を維持するために始めた軍事力拡大、太平洋から引くという弱気なオバマ大統領の政策から生じた力の真空、そしてアメリカにとって代わろうという中国の野望などがうずまき、極東太平洋における日本の安全は、いまや大きく脅かされている。
ソビエト帝国が崩壊した当時、ロシアは大混乱に陥った。そのロシアが資源大国となり、その資源を売って得た資本によって軍事力を拡大し、極東太平洋でエネルギー戦略を推し進めることになるとは、誰にも想像できなかったことである。
私はロシア専門家ではないが、テレビの番組を制作するにあたって国際情勢全般の動きを取材するため、ソビエト崩壊後のモスクワやウラジオストク、サンクトペテルブルクなどを取材したことがある。いまも印象に残っているのは、ロシアのヒトラーになるといわれたタカ派政治家ウラジミール・ジリノフスキーの言葉である。
「資源のない岩だらけの日本を侵略しようという気はまったくない」
それ以前、NHKの海外放送の責任者であった頃、私はモスクワ支局を通じてロシア政府に当時NHKの新技術であったハイビジョンを紹介し、ロシアの実力者であったアフロメーエフ陸軍参謀長に単独会見もしたが、当時の混乱したロシアと経済大国であった日本の間には、ある意味でたしかに蜜月時代が存在した。しかしながらロシアはすでに述べたように大きな変化をとげ、プーチン大統領は政治的に強硬姿勢をとらざるを得なくなっている。
いま日本の人々が留意すべきは、こうした状況のもとで西太平洋から後退しつつあるアメリカが、再びアジアに関心を持ち本当の意味での抑止力を行使するようになるには20年、30年の長い歳月が必要であるということである。フランクリン・ルーズベルト大統領から始まった、アメリカのアジアへの勢力拡大のサイクルはとりあえず終結期に入った。
そのアメリカの後を襲うべく、経済力をつけた中国が軍事力を拡大しているが、資源を中心とするロシア経済と軍事力の拡大は、中国のそれを上回る勢いである。しかもオドム中将が指摘したように、ロシアはもともと軍事的に強い国なのである。
中国は旧ソビエトが建造した古い空母を買い入れ、アメリカの技術を盗んでステルス戦闘機を作ったりレーダーを開発したりしているが一部、衛星技術で成功しているだけで、アメリカの専門家は中国の軍事力を高くは評価していない。
しかし、日本の国際戦略、外務省の外交、国民の憲法論争などを見ていると、その殆どが、いわば「張り子の虎」である中国の軍事的脅威に関心を奪われている。集団的自衛権構想にしても、中国の脅威とそれに対応する東南アジアの動きに呼応するものに過ぎないようだ。真に日本の安全を図ろうとするならば、もう一つの強力な敵、プーチン大統領のロシアがもたらす危機に対処する戦略を、ただちに構築しなければならない。
ひだか・よしき 昭和10(1935)年生まれ。東京大学文学部英文科卒、東京大学新聞研究所を経て34年、NHK入局。ワシントン支局長、理事待遇アメリカ総局長、審議委員を経て退職。ハーバード大学客員教授、同大タウブマンセンター審議委員を経て現職。全米商工会議所会長顧問。テレビ東京で「日高義樹のワシントンレポート」を17年間製作。著書に『アメリカを知らない日本人』(講談社)、『オバマの嘘を知らない日本人』(PHP)など多数。
