いったん生じた「いがみ合い」の治療には、「忍耐と慎重と認識の共有」が良薬である。日韓両国間においてはこれまで、「半世紀にわたる交流」(2018年『防衛白書』)が行われてきた。

・防衛駐在官の派遣(陸自・海自・空自各1人)(1954年以降継続)

・防衛首脳日韓ハイレベル交流21回(2015年5月~18年6月)

・留学生交流15人(2017年度)

・当局者定期協議(日韓安保対話11回、防衛実務者対話20回)

・部隊間交流10回(15年10月~18年3月)

・日米韓3カ国協力21回(15年4月~18年6月)

・その他―研究交流/安全保障対話/各種共同訓練(日米韓・日米韓豪加・西太平洋潜水艦救難・多国間海賊対処)・セミナー/各種協定協議

 これらは、自衛隊と韓国軍の間に、意思疎通が容易で良好な関係を構築、維持し、信頼を醸成している証左でもある。

 今回の事件は、この友好関係を背景に「初動」で「自衛隊・韓国軍の事実認識と誤解の鎮静」が行われるべきであった。今からでも遅くない、シビリアンコントロール下において、「自衛隊と韓国軍の良好な関係に基づく話し合いに託する」ことを一考してほしい。

 これは、武力の対峙、行使の危惧を排除して軍事組織間の友好関係を活用する「間接的衝突抑止」である。今日、この作戦は「ハイブリッド戦略・戦術」の一つでもある。それには「忍耐と寛容」という精神要素が不可欠であることを付言しておきたい。

 振り返れば、その前例がないわけではない。軍事的「忍耐」について、筆者の体験から次の事例を紹介する。

 日本の対領空侵犯措置の任務が在日米空軍から空自に移管された1960年代の過渡期、ソ連機の領空侵入に緊急発進した米要撃戦闘機のレーダー・スコープ上の輝点が、ソ連機輝点と交差し、米軍機のレーダー反射が消え、ソ連機の輝点が母基地へ向かうという事件があった。明らかに米軍機は撃墜されたのだが、大戦へのエスカレーションを回避するため米国は忍耐して看過した。

 冷戦時代、日米哨戒機のオホーツク海域流氷調査、電波情報収集飛行に対して、ソ連の地対空誘導弾部隊からFCレーダーの照射を受けている。もう一方で、ベトナム・カムラン湾と沿海州基地間往復便のソ連機も日本周辺海域を飛行し、電波情報を収集していた。

 しかし、空自高射部隊が追尾レーダーを照射してレーダー諸元を知られる愚は犯していない。また、空自スクランブル機は、領空侵犯の恐れがあるソ連機の行動監視のため肉眼で見える距離に接近した。その際、「TU-16」(ソ連の戦略爆撃機)などの機銃銃口が向けられることは珍しくなかった。
防衛省が公開した韓国駆逐艦によるレーダー照射の映像。能登半島沖(日本EEZ内)で海上自衛隊P1哨戒機により撮影された=2018年12月(防衛省提供)
防衛省が公開した韓国駆逐艦によるレーダー照射の映像。能登半島沖(日本EEZ内)で海上自衛隊P1哨戒機により撮影された=2018年12月(防衛省提供)
 これらを総ずると、いかにシビリアンコントロールに安全保障の機微、安定がかかっているかが見えてくる。今回の事件の教訓は、安全保障にかかわる事象については一層の慎重さ、冷静さ、そして忍耐が求められていくと考える。