その後、地震被害の最も大きかった宮城、岩手、福島の被災3県へ向かわれたが、被災3県が最後になったのは、被災直後で混乱が続く現地の状況や、復興しない交通手段の現状など、受け入れ側の立場を十分に尊重し、被災者一人一人と向き合おうとしたためであった。翌日の3月12日には、長野でもこの地震が誘発した大きな余震があり、そのことも視野に入っていたのであろう。

 しかも、両陛下は現地に向かって被災者に言葉をかけるという形式化したスタイルを再現するのではなく、その被災の状態ごとに、どうすれば被災者たちの心に寄り添えるかという、自問自答も重ねられたという。

 時に自分自身も災害の被害の過酷さを知ることで、その重さに潰れそうになる心を支えながら、肉体の限界まで努力してきたことが、その後の側近や関係者などの記録からうかがえる。そもそも、被災者の過酷な経験を、心を込めて聞くということは、自らもその過酷さを追体験することに他ならない。被災者の心を受け止めた両陛下の心のケアは誰がするのかと、今さらながら懸念は尽きない。

 両陛下の訪問は、復興に必要な物や金銭を直接配ることを目的とはされていない。しかし、物や金銭では解決できない被災者の心のケアに努めることで、物や金銭以上の復興へのエネルギーを導き出している。

 また、両陛下がそうした被災地を訪れることで、被災の現状が多くの国民に伝えられ、国民の支援を引き出すことになり、政府や行政の活動を活性化させることにもなる。その結果、多くの物や金銭も送られてくるのである。

 平成は災害が多い時代であった。東日本大震災後も、各地で地震や集中豪雨などの被害が続いた。両陛下はそうした被災地に可能な限り、いち早く足を運んで被災者を励ましてきた。
2016年9月、宿泊先の岩手県大槌町の「三陸花ホテルはまぎく」でハマギクをご覧になる天皇、皇后両陛下。左は千代川茂社長(代表撮影)
2016年9月、宿泊先の岩手県大槌町の「三陸花ホテルはまぎく」でハマギクをご覧になる天皇、皇后両陛下。左は千代川茂社長(代表撮影)
 だが、天皇の公務はこうした被災地慰問だけではない。憲法で定められた国事行為のほか、外国への親善訪問や「三大行幸啓(ぎょうこうけい)」(国民体育大会、全国植樹祭、全国豊かな海づくり大会)などの公的行為や、宮中儀式などの私的行為も含めると相当な数になる。

 こうした公務のうち、憲法に規定されていないものまで行う必要はないとの声や、国事行為以外は伝統を維持するための宮中儀式だけしていればいいとの指摘もある。