天皇が「旅」(行幸)にこだわるのは、必ずしも今上天皇のオリジナルではない。近代以降の天皇は、どの天皇も地方への行幸を繰り返し、国民との紐帯を築くことに腐心してきた。

 これは日本に限ったことではない。世界各地の近代君主制国家において、君主が国民の前に姿を現し、国民とともにあることを示し続けることは、君主制存続のためにも必要不可欠な活動であった。

 国民の気持ちが離れて君主制が崩壊する事例は、ここ100年で枚挙にいとまがない。2000年以降でも、ネパールで君主制が崩壊している。

 国民との良好な関係を築くことは、日本の天皇制であっても、存続のために必要不可欠なことである。特に、今上天皇が意識していたのは、父、昭和天皇の姿であったように思われる。

 昭和天皇は1946年から、敗戦直後の国民の慰問と激励のため、米軍占領下の沖縄県を除く46都道府県に行幸を行った(戦後巡幸)。戦前の天皇が声をかけるのは、政治家や官僚、軍の高官などに限られていた。

 しかし、戦後巡幸において、昭和天皇は各地で工場労働者や戦没者遺族などに声をかけ、言葉を交わしていった。朴訥(ぼくとつ)とした昭和天皇の話し方は、口癖である「あっそう」が揶揄(やゆ)されることもあったが、一方で誠実さを示すものとして受け止められることも多かった。

 その後は、都道府県を巡回する全国植樹祭や国民体育大会への行幸啓を繰り返し、全国各地へと「旅」を続けていった。この意味では、昭和天皇も「旅」をし続けた天皇といえるだろう。
1987年11月、宮殿の庭で撮影に応じられる皇太子さま、昭和天皇、天皇陛下
1987年11月、宮殿の庭で撮影に応じられる皇太子さま、昭和天皇、天皇陛下
 象徴天皇制の下での行幸は、国民一人一人と天皇との関係を構築し、その結びつきを強めるために不可欠のツールとして機能し続けてきたのである。

 ただ、今上天皇が昭和天皇と大きく異なるのは、「行幸先」と「行幸時の対応」であろう。「被災地への慰問」は、明らかに今上天皇の特徴である。