昭和天皇も被災地への慰問を全くしなかったわけではない。1945年3月10日の東京大空襲(3月18日)や、カスリーン台風被災地(1947年9月21日、25日)、伊豆大島三原山噴火(1987年6月22日)などが挙げられる。

 ただ、ほとんどの場合は、侍従などを差遣して見舞金を渡すことにとどまった。これは、天皇が被災地に向かえば、天皇を迎えるための準備に要員を割かれることになり、かえって被災地の負担になることが懸念されたためである。特に、戦後の昭和天皇の場合は、過激派の反天皇制闘争などの影響もあり、警備を緩めるという判断が難しいという事情もあった。

 一方、今上天皇は、皇太子時代の三原山噴火被災者の慰問の時から、膝をついて話している姿が確認できる(1986年11月29日)。雲仙普賢岳の噴火の際の慰問が、即位後初めての被災地慰問となった(1991年7月10日)。普賢岳で火砕流が発生して多くの死者を出した6月3日から、まだ1カ月しかたっていなかった。

 地元の負担を軽減するために、日帰りでの訪問や、沿道の警備負担が減ることもあり、ヘリコプターを多用することが採用された。これは、その後の被災地慰問でも基本的に引き継がれている。

 ただ、いくら負担軽減策を採っても、地元に負担が無くなるわけではない。それでもなお、慰問を行おうとするのは、直接その場に行って、被災者と心を通わせて励ますことが天皇の役割であるとの強い意志があるのだろう。

 当時は、保守派の中からは「天皇が膝をつくとは何事だ」という批判も少なからずあった。昭和天皇は国民の前に膝をつかなかった。握手もしなかった。

 昭和天皇にとって、国民は「赤子(せきし)」であるという感覚は、最後まで抜けなかったように思われる。膝をつく行為は、天皇の権威を傷つけるものだと考える人たちが一定数いたのである。
2011年4月、千葉県旭市飯岡保健センターで、避難生活をしている人たちに声をかけられる天皇、皇后両陛下(代表撮影)
2011年4月、千葉県旭市飯岡保健センターで、避難生活をしている人たちに声をかけられる天皇、皇后両陛下(代表撮影)
 この今上天皇の膝をつくスタイルは、美智子妃の影響だと考えられる。天皇制研究者で名古屋大の河西秀哉准教授は、1960年代の皇太子と美智子妃の写真を分析し、福祉施設などへの慰問の際に、美智子妃は腰をかがめて顔を近づけて、手を握って話そうとするのに対し、皇太子は後ろで立ったまま話していることが多い。皇太子が美智子妃の距離感を学んでいった結果、現在のスタイルになったのではないかと論じている(河西秀哉「美智子皇后論」、吉田裕ほか編『平成の天皇制とは何か』岩波書店)。