平成の政治を10年刻みで見ていくと、それぞれのディケイド(10年間)に大きな特徴がある。平成元年(1989年)~平成10年(1998年)で存在感が際立っていた政治家の功罪を辿る。

◆「山が動いた」55年体制崩壊の序曲

 平成元年(1989年)、竹下登首相がリクルート疑獄で退陣。金権腐敗という「昭和の政治」の負の部分が露呈して自民党長期政権は末期を迎えていた。そんな中、歯切れの良い自民党批判で国民の心を掴んだのが、「おたかさん」こと土井たか子・社会党委員長だ。

 土井氏は1989年の参院選に女性候補を数多く擁立、「マドンナ旋風」を起こして圧勝し、参院で自民党を過半数割れに追い込んだ。「山が動いた」の名セリフはこのとき生まれた。

「憲政史上初の女性党首のおたかさんは女性政治家のパイオニア。政治史的にも、この年の参院選で万年与党の自民党と万年野党第一党の社会党が馴れ合いで政治を進める昭和の55年体制は終わりに向かい始めた」(政治ジャーナリスト・野上忠興氏)

◆「小沢の乱」で誕生した非自民・細川政権

 自民党長期政権崩壊の立役者となったのが小沢一郎氏だ。

「功罪相半ばするが、2度の政権交代を実現。平成史には欠かせない政治家」(筆坂秀世・元共産党参院議員)
小沢一郎自由党党首(右)と小泉純一郎元首相=2018年7月、東京都新宿区(納冨康撮影)
小沢一郎自由党党首(右)と小泉純一郎元首相=2018年7月、東京都新宿区(納冨康撮影)
 小沢氏は海部内閣で自民党幹事長に就任して小選挙区制導入の「政治改革」を掲げたが、次の宮沢喜一首相が政治改革に消極姿勢をとると、内閣不信任案に賛成して倒閣に動く。宮沢首相は衆院を解散、この1993年総選挙で自民党は小沢氏ほか大量の離党者が出て過半数割れに追い込まれた。

 総選挙後、小沢氏は社会党、自民党離党組の新党さきがけなど8党派による非自民・非共産の連立内閣を誕生させ、日本新党の細川護煕氏を首相に担いだ。社会党の土井たか子氏が衆院議長に就任する。

 この自民党敗北から細川内閣成立までの“残務整理期間”に宮沢内閣の河野洋平・官房長官が発表したのが「河野談話」である。