たしかに大都市の一等地に大きな看板を掲げ表向きは派手な商売をしているものの、内実は心許なく、同胞による陰湿な足の引っ張り合いが常態化している。なにやら21世紀初頭の現在を思い浮かべてしまうから不思議だ。

 山川は四川における日本ビジネス不振に思い至る。

「余(山川)は商業に於て門外漢なり、然れども、旅行及び在留の間、これは必ず当らん、これは必ず向かんと思ひたるもの十数目にして止らず」。だから専門家が「仔細に観察したらんには、無尽蔵の利源を発見せん」。加えて地理的にも歴史的にも欧米より有利な立場にあるにもかかわらず、日本製品の販路が拡がる気配がみられない。やはり官民共々に日本側は努力が足りないのだ。かくて「余(山川)は資本の欠乏を以て専ら之が弁解の辞となすを許さず、余を以て観れば、我国官民を通じて、之を思ふに精ならず、之を行ふに実ならざるに由るとなすものなり」となる。要するに官民協力しての現地理解への努力がみられない。営業努力が足りない、ということだろう。

「本邦品は従前曽て諸種の雑貨、成都に輸入せられしが、価格割合に低廉なりし為め一時は随分捌けたるども、品質の脆弱は、直に彼等の排斥するところとなれり」。それでも「名古屋製置時計、大阪洋傘」などは一定の販売量を保持しているが、単なる見てくれから売れているだけ。本格的に「品質堅牢」「耐久力」を問われたら、将来的には販売不振に陥ることは明らか。ドイツ製品に駆逐されてしまうこともあり得るだろう。

 加えて日本商人は「支那向として、特に粗質品を択べる」傾向がみられる。こういった傾向が依然として改まる様子が見られない。このままでは中華ナショナリズムに火が点き、日貨排斥運動を招きかねないと山川は苦言を記した。
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
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 かくして山川は「之を要するに、成都に於ける日本商品は当初に一頓挫を招きてより、今日に至るまで回復する能はざる状態に在りといふべし」と結ぶ。反省はないのか。

 民が民なら官も官。五十歩百歩といった状態だった。

 成都における日本の外交活動を指して「固より正路に遵ふものなり」ではあるが、四川省の政府幹部との間にパイプを築き、諸般の情勢を調査し、四川在住各国公館の動向を観察することを怠っている。一方、列強諸国が「正路に遵ふ」というのはタテマエに過ぎない。実質的には宣教師を手足のように使い、必要に応じて「高圧手段」を混ぜながら巧妙に外交を展開するわけだから、山川の説くように日本は「少なからざる不便あるを覺悟せざるべからず」ではある。つまり正直者はバカを見るのではなく、外交における正直者は度し難いバカを意味するというわけだ。