宮澤佳廣(靖国神社元総務部長)

 筆者が靖国神社創建150年を極めて重く受け止めているのは、何も50年毎の節目だからというわけではない。靖国神社にとっての重大な岐路が、あたかもこの記念の年に符合して差し迫っているように思えてならないからである。

 よくよく考えてみれば、150年という佳節を迎えたとき、靖国神社が国家の施設として維持されてきた戦前の歴史は約76年、他方、宗教法人として維持されてきた戦後の歴史は約74年になる。そして現状のまま推移すれば、宗教法人としての歴史が今後、一方的に積み重ねられて行くことになるのだ。

 もとより靖国神社が私的な一宗教法人として存続することを余儀なくされたのは、連合国軍総司令部(GHQ)の強圧的な宗教政策によるもので、靖国神社が自主的に選択した途(みち)でも、国民の合意のもとに決せられた性格変更でもなかった。

 しかも占領下にあっては護国神社とともに特別に危険視され、何時でも廃止・解散の対象とされ得る不安定な状況に置かれたのである。

 さらに、占領解除後も昭和30年代には「祭神合祀と厚生省の事務協力」が、40年代には「靖国神社国家護持法案」が、50年代には「首相の靖国神社参拝」が国会論議の争点となり、60年8月15日に中曽根康弘首相が公式参拝を行って以降は、いわゆる「A級戦犯問題」が外交問題化して「天皇の靖国参拝」中止の直接的な原因と指摘されるまでに至っている。

 今や靖国神社をめぐる諸問題は「A級戦犯問題」の解決によってそのすべてが解消されるかのような錯覚を与えているが、それはあまりに皮相的な見方である。戦後の靖国神社の歴史を振り返れば瞭然のように、それら問題はすべて、占領政策によって法制度上の地位が強制変更され「靖国の公共性」が不明瞭にされたことに起因するからだ。

 つまり、占領政策の核心部に位置するこの問題を解消しない限り、すべての解決などは望むべくもないのである。

 まして靖国神社は「特定の教義を信じる信者によって組織された私的な宗教団体」でもなく、靖国神社と国民とのつながりは、個人の信教の自由に基づいて信じる、あるいは信じないといった関係性にはない。さらに宗教法人法にいう宗教団体は社団的な性格が色濃く、宮司や少数の責任役員の意向で神社のあり様をいかようにも変質させることができ、場合によっては消滅することも起こり得る。

 筆者が平成29年に『靖国神社が消える日』(小学館)を上梓して「国家護持」という言葉をあえて議論の俎上に乗せようとしたのは、このまま戦争の記憶が薄らぎ、靖国神社は宗教法人であって当然といった意識が支配的になれば、やがて「靖国の公共性」が喪失してしまうのではないかという危機感を抱いたからである。
73回目の「終戦の日」を前に、靖国神社を訪れた参拝者=2018年8月14日、東京都千代田区(宮崎瑞穂撮影)
73回目の「終戦の日」を前に、靖国神社を訪れた参拝者=2018年8月14日、東京都千代田区(宮崎瑞穂撮影)
 そもそも神社が国家の宗祀とされた戦前は、神社の公共性は国の法律によって他律的に維持されていた。しかし、宗教法人となった戦後は、宮司と少数の責任役員の自覚と見識によって自律的に神社の公共性が維持されているに過ぎない。

 そこに神社の「公共性」と宗教法人の「私事性」の相克が生じ、公共性が顕著な神社であればあるほど、その矛盾が大きな形となって表出する。靖国神社をめぐる諸問題はその最たる事例と言えるのだ。