新田均(皇學館大現代日本社会学部学部長)

 今回の原稿依頼は「天皇の代替わりと重なる今年、靖国神社前宮司の小堀邦夫氏の発言に触れながら、創建150年を迎えた靖国神社の存在意義、天皇陛下や首相が参拝しないことの意味や是非などを論じてほしい」というものでした。そのような依頼が来たのは、私が以前、『首相が靖国参拝して何が悪い!!』(PHP)という本を書いたからでしょう。

 そこでまず、小堀前宮司の発言についてですが、『文藝春秋2018年12月号』に載った「靖国神社は危機にある」という弁明によれば、今回の発言は、天皇陛下が一度も参拝されることなく譲位され、そのために新天皇の参拝も期待できなくなってしまうことと、靖国神社職員の意識の低さに対する強い危機感が原因だったようです。

 ただ「天皇陛下に対して不敬な言葉遣いだったことは心から反省しています」と本人も認めているように、神社内の研究会における発言とはいえ、やはり表沙汰になれば、辞職せざるを得ない物言いだったことは間違いないでしょう。

 この発言に関連して私見を二つ述べたいと思います。一つは、場合によっては組織内の深刻な対立や外部からの厳しい非難を受けかねない問題に対して、リーダーの発言はいかにあるべきか、ということです。そうした場面で私が考えていることは、会員制交流サイト(SNS)時代の今日、「ここだけの話」というのはもはや通用しないということです。

 たとえ、友達との会話であっても、家族との電話であっても、それが世間に出たときに、致命傷にならない言い方を心がける。そうすることで、大切な問題について足元をすくわれる危険を避ける。とりわけ、国家の根幹に関わる組織のリーダーは、そのように普段から意識して自らの言動を自らチェックするべきだと思います。

 二つ目は、靖国神社の意義に関わることです。靖国神社には二種類のご祭神が祀られています。一つは戦争で亡くなられた方々、もう一つは戊辰(ぼしん)戦争以前の維新の変革の中で犠牲になられた方々です。後者は数こそ少ないですが、志半ばで倒れていった同志をしのび、その志を継承して、生き残った者たちが営んだ招魂祭に由来し、それが靖国神社の原点でした。
靖国神社の参拝に訪れる人々=2018年8月、東京・九段(鴨川一也撮影)
靖国神社の参拝に訪れる人々=2018年8月、東京・九段(鴨川一也撮影)
 その招魂祭が明治天皇のおぼしめしで東京招魂社に、やがて靖国神社へと発展する過程で「伝統的な温情と和解の心」が働いたと、東大名誉教授の小堀桂一郎氏は指摘しています(『靖国神社と日本人』PHP文庫)。

 倒れていった志士たちは幕府によって反逆者や罪人として殺されたり処刑されたりした人々です。しかし、その幕府は天皇から統治を委任されていました(大政委任論)。したがって、その罪を突き詰めると天皇を批判することにもなりかねません。