ただ、「既に公開されて流通している作品」も対象とするのは議論の余地が大きいだろう。セガゲームスは、昨年12月に発売されたゲームソフト「JUDGE EYES:死神の遺言」の販売自粛を発表した。俳優の木村拓哉が主演する同ゲームで、瀧容疑者はヤクザの若頭役を務めていた。また、所属レコード会社もヒット曲「Shangri-La」(シャングリラ)をはじめ、音楽・映像商品の出荷停止や店頭在庫の回収、デジタル配信停止を決めている。

 これらが発売されたのは逮捕前であり、あくまで過去の話だ。音楽家の坂本龍一もツイッターで「ドラッグを使用した人間の作った音楽は聴きたくないという人は、ただ聴かなければいいだけなんだから。音楽に罪はない」と述べたように、音楽業界から疑問の声も上がっている。

 確かに、この手の判断を一律に適用すれば、店頭や販売サイトに並んだ出演映画のDVDなども完全に撤去されることになってしまう。ユーザーから販売元にクレームが多数寄せられるようなことも考えにくいため、過剰反応に見えるところはある。

 そもそも、犯罪加害者の出演作品の撤去は「被害者に配慮する」という理由が大きいが、犯行確認前のものにまで遡(さかのぼ)らないといけないなら、販売商品のみならず、ネット上の人物画像まで削除しなければならなくなる。世の中から人の存在の痕跡を消すことなどは難しく、「売名行為」が仕事のタレントは不可能といえる。

 その観点の流れで、一部の識者やコメンテーターなどから「被害者のいない麻薬事件は例外ではないか」とする意見も出ている。もっともらしく聞こえる主張だが、被害者の有無で線引きすることは話を余計にややこしくするだけだ。

 麻薬事件では販売者と使用者が同時に逮捕されることがあるが、両者がタレントであった場合、被害者をつくった販売側はアウトで、使用だけの側はセーフとするのも妙な話だ。

 賭博罪なども同様で、同じ犯罪でも被害者の有無で区分けするとなると、中には法解釈で被害者かどうかを認定する裁判があった場合、それをひたすら待つということにもなってしまう。安易に「被害者がいるいない論」を持ち出すのは、刑事犯罪の「幅広さ」を想定できていない人の理屈としか思えないのだ。

 海外では、米国のように、被害者のいる暴行事件の加害者であっても、逮捕されて裁判を待つ間に試合に出たプロボクサーがいるし、有罪が確定した直後にドラマ出演した俳優もいる。「米国では犯罪と経済活動を分けて考えるところがある」と指摘する米芸能ジャーナリスト、エイドリアン・ゲール氏は以下のように主張する。
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
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 「犯行とは無関係な仕事や、犯行前に正当な方法で行った仕事への対価までも奪ってしまえば、犯罪者は社会的活動を一切できなくなってしまう。だから、基本的には法や契約に従うべきだ」

 つまり、この見解を裏返せば、契約に明記されない勝手な販売中止は犯罪者側の利益を不当に奪うことにもなるという見方もできるわけだ。だから、日本の一部識者の「作品を公開して、報酬を福祉団体に寄付すればいい」という論調ですら、他人の報酬を勝手に決める「暴論」になってしまうのである。