具体的には、求められる、つまり点数的に評価されるスケーター像に「なりきる」必要があるのだ。

 選手はあれだけ多くの観客に見守られながら、そして複数の審判員に頭からつま先まで、まさに身体の動きの細かなところまで評価対象として注目されながら、練習して作り上げてきたパフォーマンスを発揮しなければならない。

 そのためには、いい意味での勘違いや思い込みがないと、平常心を保ち、実力、つまり培った技術を具現化することは難しい。「自分はベストなパフォーマンスができるスケーターだ」「自分が中心となって観客を虜(とりこ)にするんだ」「パフォーマンスでリンクを支配するんだ」などという意気込みを持ったり、あらかじめ設定した曲や振り付けの世界観や、ストーリーに身も心も入り込むのだ。

 ここに、日本におけるスケート文化が寄与しているであろうことがうかがえる。スケートファンは、まさにトップスケーターに対して心酔しており、極端にいえば成績そのものよりも、美しさや華麗さ、奇麗さ、優雅さを求め、異性としての理想、同性としての憧憬(しょうけい)を抱き、まさに羨望(せんぼう)の的として見ている向きが強い。

 メディアの取り上げ方やテレビ中継の演出、さらにはファンの応援の仕方から見ても、それは明らかである。

世界フィギュアの男子SPで3位発進の羽生結弦=2019年3月21日、さいたまスーパーアリーナ
世界フィギュアの男子SPで
3位発進の羽生結弦=2019年3月21日、
さいたまスーパーアリーナ
 現に、羽生結弦は「氷上の王子」とも呼ばれ、「王子様っぽい有名人」のランキングでは、芸能人の中にただ一人混じって上位に位置づけられている。また、女性選手の衣装として人気が高いものはアニメやディズニーキャラクターの「プリンセス」に近いものがある。

 そんなファンたちに見守られ、応援されながら、選手たちはリンクの上に立つことができるのだ。王子様やプリンセスになりきって、あらかじめ作り上げられた数分間のストーリーや世界観に入り込むことを強烈に促進する、最高の舞台である。

 心理学では「メタ認知」といって、自分で自分を俯瞰(ふかん)してみることが精神的適応や安定につながるという考え方がある。しかし、フィギュアスケート競技に関しては、むしろ自分を客観的に見るというよりは、あえて視野を狭くして、自分の主観にとらわれたり、ナルシスティックになる体験の方が、役に立つのではないかと思う。その環境を作っているのは、ファンであり、国民であり、日本で醸成されたスケート文化なのだろう。