平成という時代を振り返ると、政治や経済の重大な局面で必ずその存在が見え隠れする。表の権力者たちを支え、動かし、時に揺るがす「フィクサー」たちだ。確かに昭和の時代にも暗躍した「大物フィクサー」はいた。舞台回しのスケールでいえば、平成よりはるかに大きかったかもしれない。

 だが、表の権力者が小粒化した平成の政界において「フィクサー」の存在感は相対的に増している。さらにいえば、彼らが「表の実力者」としての顔を持つことも特徴といえる。いったいなぜ彼らは、それほどの存在になり得たのか。

 民主党への政権交代(2009年)の「陰の主役」といえば、京セラ創業者の稲盛和夫氏(86)だ。

 政権交代を目前に控え、当時の小沢一郎・民主党代表はしばしば隠密行動を取った。「お忍びで京都に行ったらしい」──党内ではそんな噂がささやかれた。民主党事務局長を務めた政治アナリスト・伊藤惇夫氏が当時を振り返る。

 「京都で稲盛さんにお世話になっていたのでしょう。それほど近い関係でした。その一方で前原誠司氏の後援会長を務めるなど、個々の民主党議員の面倒もよく見ていた」

 自民党政権は財界主流が支えてきたが、民主党を支えた経済人といえば稲盛氏くらいだった。なぜたった1人で政権交代をバックアップすることができたのか。

 「ベンチャー企業の創業者で、挑戦する立場に理解があった。京都の経営者だから東京の財界に対する対抗心もあったと思う。だから既存の自民党ではない政治勢力、政権交代可能な2大政党制の必要性を強く感じていたのではないか」(伊藤氏)
2013年3月、取締役からの退任を発表する日本航空の稲盛和夫名誉会長(写真左)。右は植木義晴社長(大西史朗撮影)
2013年3月、取締役からの退任を発表する日本航空の稲盛和夫名誉会長(写真左)。右は植木義晴社長(大西史朗撮影)
 2大政党制を作るために、稲盛氏は政権交代前の2003年民主党と自由党の民由合併の工作に関わった。当時、菅直人氏ら民主党内に“小沢アレルギー”が強く、合併に反対したが、それを説得して合併を成功させたのが稲盛氏だったとされる。合併民主党の事実上の“オーナー”だったことになる。しかし、政権交代後は民主党に使われた。伊藤氏はいう。

 「経営破綻した日本航空の経営再建を担わされ、出資も求められた。稲盛さんが民主党のフィクサー的なポジションにあったのは政権交代前の野党時代までではないか」

 民主党が分裂騒動を起こした菅政権時代、「大変落胆している。こういうことのために支援してきたのではなかった」と稲盛氏は記者会見で語り、以降は民主党と距離を置いた。

関連記事