松原仁(衆議院議員) 

 2009年の夏、そして2012年の年の瀬に行われた衆議院解散総選挙において、私は「格差の是正」「庶民力復活」を掲げて戦った。結果から言えば、私は最初の戦いにおいて勝利することができたが、後者においては得票率で0・7ポイント及ばず敗れた。

 これらの選挙の前後で、選挙区(東京3区)の有権者の皆さまからは、かつてないほど多くの激励と厳しい叱責(しっせき)の言葉をもらい、また永田町や霞が関の関係者とは、極めてダイナミックな関係の転換を経験した。私は今回、この時の体験から民主党政権の功罪を振り返ってみたい。

 まず初めに民主党政権が悪夢だったとすれば、それは具体的に誰にとっての悪夢だったか。民主党政権の誕生を「悪夢」であると実感したのは紛れもなく、長期政権を手放した自民党、そして自民党政権下では「ツーといえばカー」と言った阿吽(あうん)の呼吸で、日本に対する強大な権力を行使する環境にあった米国政府であることは言をまたない。

 言わずもがな、戦後のほとんどの期間で政権を担ってきた自民党にとって、国家権力と官僚機構は自らの所有物に近い感覚を持つ存在であったろう。それゆえに自民党政権の政策決定プロセスは国民に開かれたというよりは、良くも悪くも永田町と霞が関の談合のような形態を取ることになった。そのような「私有財産」が、2009年夏の総選挙によって、一夜にして完全に奪われ、特に多くの官僚が、時の新たな政権の開かれた政治体制への試みに忠誠心を示したことは、まさに自民党にとって悪夢のような体験であったことは想像に難くない。

 かくいう私自身も、2012年に民主党が政権を手放した直後には、昨日まで仲間だった官僚が、次の政権に仕える準備をすぐさま開始する様子を目の当たりにした。ましてや、民主党の3年半の経験に比べ、極めて長期にわたる政権を維持してきた自民党の政治家たちが味わった屈辱と喪失感は、われわれのそれとは比べ物にならないほどのトラウマになったと考えられる。
八ツ場ダム建設予定地を国交省職員の案内で視察する前原誠司国土交通相(右から3人目)=2009年9月23日、群馬県長野原町(矢島康弘撮影)
八ツ場ダム建設予定地を国交省職員の案内で視察する前原誠司国土交通相(右から3人目)=2009年9月23日、群馬県長野原町(矢島康弘撮影) 
 加えて、「八ツ場(やんば)ダム」に代表される、自分たちが根回しを重ね決定した政策の数々を、民主党政権は「事業仕分け」という、自民党のような権力のインサイダーにとってはパフォーマンスにしか見えない形で、国民的な賛同を引き寄せ覆した。政権運営のプロフェッショナルである彼らにとって、その大衆迎合的な方策はまるで素人政権の思いつきに見えたことだろう。

 同時に、太平洋を挟んでわが国と向き合う世界の盟主にとっても、極東(きょくとう)の要となる同盟国における政権交代と、その新たなる外交姿勢は脅威と映ったかもしれない。世界の覇権国たる米国は、日本のお国文化である「建前」と「本音」を巧妙に利用し、戦後のわが国を同盟国という名の、実質的には「隷属国」として、時に優しく、時に厳しく鞠育(きくいく)してきた。そんな米国の対日政策の基本的前提には、対米協調という名の「従属的な」対米姿勢を示す自民党政権、もしくはそのような外交姿勢の「自民党的政権」であることが想定されてきた。