後藤致人(愛知学院大文学部歴史学科教授)

 天皇代替わりにあたり、元号を即位の日にあわせて改元する、いわゆる「即日改元」は本当に必要なのだろうか。今回の改元は、譲位1カ月前に公表し、暦の変更に不都合がないように配慮がなされている。ただ、新天皇即位にあわせての「即日改元」の原則は変わっていない。

 改元手続きは、どんなに急いでも数カ月はかかる。つまり、先帝崩御の場合、翌日に改元するためには、天皇が亡くなることを予期して手続きを進めなければならず、これほど失礼なことはない。もしも天皇に不慮の事故があったとき、物理的に「即日改元」は不可能である。このような綱渡りを、天皇代替わりごとに行わなければならないのはおかしくはないか。また、文字案は秘密裏に審議が進められるが、象徴天皇制にふさわしくないのではないか。

 「即日改元」が定められたのは明治時代になってからで、皇室典範や登極令(旧皇室令)などによって、改元は新帝即位直後、文字案の審議は枢密院で行い、勅定するとした。明治天皇の病状が悪化すると、来るべき改元に備えて、西園寺公望(きんもち)首相が元号の内案作成を命じ、天皇崩御の後、新帝即位直後に元号案は枢密院で審議され、第1案であった「大正」が決定した。

 改元詔書では明治45年7月30日以後を大正元年とすることが明記された。明治改元のときは慶応4年を明治元年に改元するとのみ書かれており、月日をはっきり明記するようになったのはこの大正改元からである。

 大正天皇の病状悪化のときも、元号内案の作業に着手している。このときは宮中と内閣で別々に作業が始まっている。宮中では一木喜徳郎(いちききとくろう)宮内大臣が図書寮編修官に命じ、3案にまとめられ、牧野伸顕(のぶあき)内大臣と元老・西園寺公望の了解を得ている。
大正天皇
大正天皇
 一方、内閣の方では若槻礼次郎首相が着手を命じ、5案を得ている。この宮中3案と内閣5案をあわせて内閣書記官長が精査し、第1案を「昭和」、他2案に絞っている。この3案はすべて宮中案であった。

 大正天皇が崩御し、新帝が即位すると、その直後に枢密院で元号案が審議され、第1案の「昭和」と決定した。このとき、毎日新聞の前身である『東京日日新聞』が、新元号は「光文」と誤報する。いわゆる「光文事件」だが、この「光文」は内閣から出された候補の一つで、最終候補にも入っていない。