結論としては、キリスト歴は巻尺であり、元号はもの差しに当たると考えて併用すればよい。換算が不便というが、たいした手間ではない。早見表を見れば良いだけの話で小学生でもできることだ。

 共産党の志位和夫委員長はこれまで、元号制度は支配者が時を支配するものだから反対と述べたことがある。しかし、時というものは想像上のもので存在しないことは古代の龍樹、アウグスチヌス、道元などの先哲がすでに明らかにしている。

 だから時は誰も支配などできない。そして共産党の代案がマルクス暦というのなら分かるが、キリスト歴というのでは驚いてしまう。共産党はいつからキリスト教徒になったのか。

 そして唯物無神論ではなかったのか。あまりにも無原則で機会主義的だ。キリスト歴はあくまでも宗教暦であり、キリスト教徒の暦である。イスラム圏ではイスラム暦があり、中東の新聞ではキリスト歴はカッコ付きで付記されている。

 そもそも元号問題は戦後2回、大きな政治問題になった。1回目は昭和25(1950)年に元号廃止が国会で検討されたことだ。これは戦後のドサクサを利用して日本の伝統文化を廃止しようとする左翼、キリスト教勢力の陰謀であったが、左翼の最優先課題がサンフランシスコ平和条約の反対運動にシフトしたため、幸い防ぐことができた。実に危なかった。

 2回目は昭和53(1978)年で愛国的な国民が結集し元号法を制定した。この時は危機感の高まりで元号制度制定促進を求めて国民があの日本武道館いっぱいにあふれたのである。

 また、元号制度は連続した歴史に期間を決めることにより「時代」の概念を作るが、これにより歴史はとりとめのない時点主義から人生の記録を示す人間の歴史になる。この中で各人は天皇の謚(おくりな)を通じて公の歴史につながることができる。
新元号が「令和」に決まり、記者会見で談話を発表する安倍首相=2019年4月1日、首相官邸
新元号が「令和」に決まり、記者会見で談話を発表する安倍首相=2019年4月1日、首相官邸
 私の場合、昭和に生まれ、平成を経験し、新しい元号の時代に死ぬことになるから三代の天皇を戴いて生きたということである。ささやかであるが、私の公的記録だ。また、歴史が時点主義から期間になることにより、共同体の成員にとって国家の歴史が成員の共有財産になる。

 われわれ日本人は元号を介して歴史を共有する民族なのだ。これが、われわれが元号制度を守らなければならない大きな理由なのである。