「戦争設計」のなかった指揮官の責任


 戸高 先の大戦で日本海軍は戦艦をどのように使うべきかに失敗したのは事実です。マレー沖海戦やインド洋海戦のあと、アメリカ海軍は戦艦を主力兵器ではなく、空母の防空護衛や輸送船団の護衛艦として運用するようになりました。戦艦の対空能力は空母とは比べものにならない。水上艦艇の中で最強です。防御力も高い。日本の戦艦はなおさらでレイテ戦中にシブヤン海に沈められた武蔵は撃沈されるまでに魚雷20発、爆弾10発命中という攻撃に耐え、米軍を驚嘆させました。

 昭和17年5月の珊瑚海海戦以後は、日本海軍も海戦の主力は空母であると認識したはずですが、アメリカ海軍と異なったのは戦艦の使い道を真剣に考えなかったことです。連合艦隊司令長官の山本五十六は、もともと大和建造には消極的で、「こんなものは要らん」と言っていた。山本は昭和5年に航空本部技術部長、7年に第一航空戦隊司令官、九年からロンドン軍縮会議に出張して中将に昇進したあと航空本部長に就き、11年11月から14年8月まで海軍次官をつとめ、その後連合艦隊司令長官に任命されている。次官時代の13年には航空本部長兼任で海軍航空兵力の整備に努力しています。履歴を見ても、戦艦の指揮・運用者というよりは、・航空戦力拡充の先駆者・でした。

 その山本が、連合艦隊司令長官兼第一艦隊司令長官に任命された経緯は、テロの危険から遠ざけるために海上勤務に・避難・させたもので、海軍の戦争設計に基づいてなされたものとは言えない。私は、山本五十六は、昭和の日本海軍にとって待望のリーダーだったと思いますが、大和や武蔵を有効に使おうという戦略、戦術意識が希薄だったことは明らかです。

 上島 英霊には申し訳ない言い方になりますが、日本海軍、とくに指揮官、参謀は真剣に戦争をしたのかという思いを禁じ得ない。指揮官にとって真剣に戦争をするとはどういうことか。目的を達すること。兵士を無駄死にさせないこと。私はそう考えるのですが、それからすると大和の沖縄突入作戦は、海軍全体のけじめをつけるという精神的な意味が大きく、命令書にどう書かれていようと戦略目的を達するための作戦とは言えない。歴史作家の山岡荘八は、たしか・終戦のための供物・という表現で語っていました。日本人が最後の最後まで敢闘精神を失わなかったという精神史における意味を特攻作戦に見いだしたとしても、近代戦争の通念を超えての戦いを将兵に強いたことを、「それでもよかった」としてはならないと思うのです。大和が無傷で米軍に鹵獲されたのでは、戦い抜いた航空部隊と日本国民に申し訳ない。だから…という理由に納得してはいけない。命懸けの戦闘を要求するなら、甲斐ある戦場を設定するのが指揮官・参謀の役目のはずです。

 戸高 その意味では、戦艦は本当に決戦場に投入されていない。夙に指摘されることですが、昭和17年6月のミッドウェー海戦では大和以下の戦艦部隊は空母部隊の約500キロ後方にいましたし、同年8月から翌18年2月にかけてのガダルカナル戦では、巡洋艦や駆逐艦群が死闘を繰り広げていたにもかかわらず、大和も武蔵もトラック島の泊地に居座ったまま出撃していない。

 山本長官は日本を発ってトラックに進出する前、「あと百日の間に小生の余命は全部すりへらす覚悟に御座候」と故郷に手紙を送っていますが、結局、大和で決戦場に出ることはなかった。連合艦隊は同年11月の第三次ソロモン海戦で戦艦比叡、霧島を米艦との砲撃戦で沈められますが、この2隻が大正初めに就役した旧式戦艦だったのに対し、アメリカは新鋭戦艦のワシントン、サウスダコタを投入しました。大和、武蔵は日本海軍でいちばん打撃力があって防御力の高い戦艦です。もしガダルカナルに出撃していれば、ワシントンやサウスダコタを相手にしても大きな戦果が得られたと思います。

 山本五十六は一応出撃しようと言ったのですが、渡辺安次という参謀が、「長官がわざわざ行くには及びません」と袖を引っ張ったので他の艦船が行ったという経緯なのですが、決戦場にはいちばん打撃力のある戦艦で行くべきで、やはり山本が決断すべきでした。モノというのは実際に使って能力を発揮して初めてその存在理由と価値が確認されるのですから、使わなかったら単なる飾りでしかない。「大和ホテル」と揶揄されても仕方ない。

 上島 「見敵必戦」が徹底していた日露戦争時の日本海軍ではなくなっていた。

 戸高 大東亜戦争開戦時の第一線艦隊では実際に日本海海戦で本格的な戦闘を経験していたのは山本ぐらいしかいません。にもかかわらず…という気がしてならない。

 上島 使うべきところでモノ惜しみをした。わが海軍には一度の艦隊決戦に勝利するしか道はない、というのが日露戦争における日本海海戦で、奮闘バルチック艦隊を撃滅したわけですが、その成功体験が強すぎたのか、日本海軍はその後も艦隊決戦主義を採り続けますね。貧しい国がやっとの思いで編成した連合艦隊を、その主力艦である戦艦大和を前哨戦で失うわけにはいかない。艦隊保全の意識が強かった事情はわかりますが、ガダルカナル戦は大東亜戦争の帰趨を決める戦場だったはずです。それがわからなかったのか、陸海軍ともに戦力の逐次投入をしていたずらに損耗を重ねた。決戦はまだ先だ、もっと先だと言っているうちに、艦隊を運用するどころか艦隊そのものを失ってしまった。
フィリピン・レイテ沖海戦で攻撃を受ける戦艦大和
 結果的に「戦争設計」がなかったということは、日本は侵略の野望を逞しくしてあの戦争を戦ったどころか、まさに米英に追い詰められて、「自存自衛」のためにやむを得なく戦端を開いたという証ですが、それにしても海軍の戦争はもっとやりようがあったのではないか。少なくとも艦隊決戦を想定していたのなら、そこにアメリカを誘導する戦い方をすべきだった。こうした「if」を考えることは、決して詮無いことではなく、未来のために、日本人が戦略的思考を持つために不可欠です。

 戸高 以前、日下公人さんとの対談で、日下さんが連合艦隊をいかに使うべきだったかについて、真珠湾でアメリカの太平洋艦隊は壊滅、マレー沖海戦でイギリス東洋艦隊も撃滅、事実上連合艦隊は無敵となっていたから、昭和17年初めにベンガル湾に派遣してインド独立運動を支援する態勢を取っていれば、インドからイギリスを駆逐することにつながったかも知れないと述べられましたが、そういう積極策もあり得ました。

 歴史の「if」を重ねれば、その前にハワイ占領という作戦もあり得た。陸軍部隊が実際に上陸訓練をしていましたし、山口多聞のプランにも米本土西海岸への上陸がありました。ハワイを占領し、米軍の燃料やドックを接収して真珠湾を大和の母港にする。そして米西海岸から太平洋を渡って日本に近づこうとするアメリカの艦船は真珠湾を拠点にした大和以下の部隊が逐一叩く。

 ハワイ占領作戦が正式に中止されるのはミッドウェー海戦の敗北後ですが、緒戦の有利な状況下で大和を使う手はいくらもありました。これを、艦隊保全を第一にして肝心の戦場に投入することなく宝の持ち腐れにしたことは本当に残念です。