柔道畳にしがみつく我も友も重油で真っ黒

 米軍は「不沈艦大和撃沈」のため、作戦を立て、高地さんのいる左舷ばかり集中的に攻撃してきた。激闘が続いたが、午後二時過ぎ、総員最上甲板(退避命令)が出た。当たり前だが、海軍に総員退避のラッパはないという。高地さんは三回、今度は肉声で拡声器に叫んだ。

 「総員最上甲板 総員最上甲板 総員最上甲板」

 しかし、乗員に聞こえたかどうか? 伊藤整一長官は皆に別れを告げ、作戦室に下りていった。掌航海長は「皆、艦と運命を共にせい」と叫んだ。高地さんたちは互いに体を舵輪にロープでくくりつけた。

 しかし、伝声管を通じて、これを知った有賀艦長は「そんな馬鹿なことをするな。若い者は第二の御奉公をしろ。助かる者は助かって次の戦いに参加せい」と怒ったため、ロープをほどいた。発言者は羅針盤にくくりつけて艦と共に沈む。

 「機密書類を沈めるように」と命令が下った。高地さんは海図、作戦綴りなどを必死で、引き出しの奥にしまいこんだ。絶対に浮かばないよう鉛で装丁されている最高機密「艦隊運動程式」も念のため、しまった。

 大和は左舷から沈み始めた。映画「タイタニック」さながらに巨艦が傾く。艦橋の傾斜も激しい。艦内靴(運動靴)を脱ぎ、戦闘服も靴下もそのままで這いながら、ひたすら右舷を目指したが、間もなく波にさらわれてしまった。大きな渦に巻き込まれ、一旦、東シナ海深く沈んだ。浮かび上がった時、目もくらむような閃光が走った。
「雷がまとめて光った感じ。パッと明るくなりました」。

 大和が爆発炎上した瞬間だった。兵士、鉄板、砲身などが空中で四散し、海に降り注いでくる。あわてて、潜った。再度、浮上した時、海面は流出重油で真っ黒だった。敵機の機銃掃射が激しい。

 「何か捕まる物はないか?」とあがいていると、漬物樽が流れてきた。引き寄せたが、樽はクルクルッと回転するばかりで浮力も乏しい。その時、天の助けか。上官4、5人がつかまった大きな物体が近づいてきた。何と柔道畳だった。

 「柔道畳が浮くなんて知りませんでしたから、びっくりしました」

 畳にしがみついて漂っていたが、駆逐艦数隻が救助に乗り出してくれた。だが、至近を走る船の波、スクリューに巻き込まれて沈む人々が続出した。そのうち、駆逐艦「雪風」がとまった。約200メートル先だ。雪風は昭和15年、竣工。幾多の海戦に参加しながら、同型艦18隻の中で唯一、沈まず「日本一、運の強い艦」と言われる。

 振り仰ぐ雪風の甲板。信号兵たちはズラっと並び、手旗信号で「頑張れ」、「ガンバレ」と励ましてくれている。カッターも降ろされた。紀州育ちで水泳は達者だ。「わしは泳いで行きます」と別れを告げ、泳ぎ出した。多くの兵隊が泳いでいたが、「艦にたどりついた途端、力尽きて沈んで行く人が多かったです」。

 高地さんは3人が降ろしてくれたロープに掴まった。だが、重油で滑り、どうしようもない。「湾岸戦争で重油で真っ黒になった水鳥と一緒です。喉の奥まで黒くなった」。最後の力で、体を縛りつけた。

 約7、8メートル引き上げられたが、甲板付近が忍び返しのように斜めに膨らんでいるためスムーズにはいかない。「こりゃ駄目か」と覚悟した時、やっと甲板についた。何か温かい言葉でもあったのか? いや、海の男たちは無言だった。

 「バシーン」

 思いっきり尻を叩いてくれた。笑顔での手荒い歓迎は今でも忘れられない。大和沈没は午後2時23分。しかし、高地さんの記録用時計は2時20分ジャストで止まっていた。