初の便りが「金送れ」 奇跡に両親は泣いた

 次に込み上げてきたのは、圧倒的な寒気だった。着替えを出してくれたのに、「胴震いはする、手はかじかむで着こなせないんです」。着替えた後、意識不明となった。気がついた時は4月8日、佐世保港に着いていた。救助組は一種、隔離された状態となった。その後、呉に移動した。

 高地さんは家を出て以来、一度も金を無心したことが無かったが、今回は本当に無一文となったため、初めて実家の両親、與平さん、ちいさんに仕送りを頼んだ。「初めての便りが『金送れ』ですから…」。どんなに両親は驚いたり、喜んだことか。

 その後、故郷の田辺海兵団に所属した。自宅近くの裏山に特攻基地を築いていた時に終戦。

 以来、農業一筋。田辺ではまず水田。続いて換金作物を目指してスモモ「ブランコット」を増産した。その後は早生の温州ミカン。まだ彼岸の頃から青い皮で出荷した。「消費者の好みが刻々と変わるから、本当に大変。このまま食っていけるかな、と悩みながら続けました」。

 そして昭和50年頃から、南高梅を手掛けている。10月から年内いっぱい、剪定作業。1月下旬に開花。5月、小梅の手取り。現在、梅干し用の収穫だ。7月から一次加工、つまり梅干しに漬け込む。8月には出荷する。一年中、休めない。「近年、中国から入ってくる。これが安くて結構、品質がいい。だから、大変なんです」。

 49年、喉頭がん。大阪大学病院で、手術。スヱ子夫人の看病もあり、食道発声機で話ができる。『男たちの大和』(ハルキ文庫)の作者、辺見じゅんさんも取材に来た。作品内に数回、登場している。高地さんは激情型というより、冷静な観察者として描かれている。

 大和は北緯三〇度四三分、東経一二八度四分。長崎県の南約300キロ、鹿児島県の西312キロ、水深約340メートルの海底に眠る。大和の慰霊航海が過去何度か行われているが、一度も参加していない。平成15年、呉の海軍墓地の慰霊祭には参加した。「もう海はよろしいがな。映画は観るつもりですが」 (編集委員 藤原義則)

【注】●=「流」のさんずいへんを「方」に替えた字