杉山崇(神奈川大人間科学部教授)

 競泳の日本選手権が盛り上がりを見せています。来年に迫った東京五輪で日本勢の活躍を、日本中が楽しみにしている中で、ますます注目を集めています。

 しかし、今回は別の意味でも注目が集まりました。リオデジャネイロ五輪の金メダリストで、東京五輪でも2連覇が期待される萩野公介選手が出場を見送ったからです。理由はアスリートに付き物のけがや体調不良などではなく、一種の気持ちの問題のようです。そこで本稿では、荻野選手の決断を心理学的に考えてみたいと思います。

 荻野選手は、競泳男子400メートル個人メドレーで金メダルを獲得した実績のある24歳です。競泳界のみならず、日本の現役アスリートとして最高の選手の一人です。

 当然のことながら、国民はその活躍に期待し、勇気をもらい、日本人として誇りに感じていました。仮に、けがを理由に欠場した場合、荻野選手がコメントの中で復活を誓っていたら、私たちは自身の苦難を荻野選手の苦難に重ねて、勇気をもらえたことでしょう。

 しかし、今回の出場見送りは事情が違いました。3月15日に欠場を発表したコメントで、萩野選手は「自分が『こうありたい』という理想と現実の結果の差が少しずつ自分の中で開いていき、モチベーションを保(たも)つことがきつくなっていきました」と明らかにしたからです。さらに今回の欠場により、優勝すれば東京五輪代表が決まる韓国での世界選手権出場も事実上消滅したわけです。

 それにしても、このコメントは、まるで引退を示唆するかのように受け取れます。一般の国民感覚では、24歳は引退を考えるには早すぎる年齢です。
2019年4月2日、競泳日本選手権、初日の競技が行われた東京辰巳国際水泳場(納冨康撮影)
2019年4月2日、競泳日本選手権、初日の競技が行われた東京辰巳国際水泳場(納冨康撮影)
 しかも、荻野選手は厳しい練習で世界の頂点を勝ち取り、この先も頂点に君臨し続けられるだけの立場にいるのです。才能だけでなく、実績がさらなる支援を呼ぶことで、そういった環境も整っているのです。

 極端な言葉を使えば、荻野選手が望めば「世界が手に入る」のです。にもかかわらず、荻野選手はなぜ勝ち取ったポジションを手放すような心境になったのでしょうか。