2019年04月05日 14:41 公開

デイヴ・リー、北米テクノロジー記者

米マイクロソフトは2日、マイクロソフト・ストアでの電子書籍の販売を中止し、電子書籍事業を閉鎖すると発表した。つまり、このサービスを通じて買った電子書籍は今後、読めなくなってしまう。

マイクロソフトはユーザーに対し、これまで購入した電子書籍の全額を返金するとしている(閉鎖するということは、それほどユーザーも多くないということだろう。マイクロソフトはそれ以上コメントしていない)。

だが、ちょっと考えて欲しい。これはおかしくないだろうか。

もしあなたがマイクロソフトのユーザーで、本にお金を払ったのなら、その本はあなたのもののはずだ。

しかし、残念ながらそうではない。その本は一度もあなたのものではなかった。あなたがその「本」にお金を払ったとき、実際には本への「アクセス」にお金を払っていたのだ。

そして、あらゆる大手電子書籍ストアの利用規約は、このアクセス権はいつでも取り上げられる可能性があると定めている。

この奇妙な状況はそのせいだ。マイクロソフトの電子書籍ユーザーは(どれだけ少ないとしても)、ストア経営はもうからないという経営陣の判断ひとつで、自分が集めてきた本の消滅を経験するのだ。

マイクロソフトの件は、この常時接続時代に「所有権」の概念がどう変化したかを示している。私たちはこのことを、定期的に思い出す必要がある。

この場合は本だったが、あらゆるデジタルの購入品が同じ状況にある。私たちは、細かな日用品をどんどんデジタルで買うようになっている。つまり、賃借権を買っているのだ。それは自分の記憶や自分の性格も、個性も一部も借りているようなものだ。

書籍のフードチェンを守るため

同じようなことがデジタルでない世界で起きたら、私たちは受け入れるだろうか。とてもそうは思えない。地元の書店が閉鎖したからといって、本の取立て人がいきなり人の家に押し入り、本棚を空っぽにしていくなど、あり得るだろうか。

しかし、私たちが作り出したオンライン世界では、まさにこれが常態となっている。もっと正確に言えば、テクノロジー企業がそうしたとも言える。アマゾンも、アップルも、グーグルも、楽天Koboも、電子書籍ストアでは大体同じようなルールを適用している。あなたは本を所有する権利ではなく、本を読む権利を買っているのだ。

読み終わった後の電子書籍を、好き勝手に誰かにあげることができないのも、そのためだ。私にとって、これは読書の楽しみを制限されているようなものだ。誰かに本をあげるのは、本を読むことの次に楽しいことなので。

(もちろん、これをどうにかしたいなら簡単だ。実際に、本を買えばいい。ただし、私のようにデジタル版を読むのが一番お好みだという人は、同じ本を2度買う羽目になる。誰かに上げたいから同じ本を2度買わなくてはならないというのは、おかしいと思う)

こうした制限について、電子書籍ストアや出版社は最大の、そして実にもっともな理由があると説明する。大なり小なりの海賊行為だ。

電子書籍ストアで販売されているほとんどの電子書籍には、デジタル著作権管理(DRM)ソフトが入っている。DRMはあなたの購入した書籍ファイルをサーバーを通じて確認し、これによってあなたが正しくアクセス権を購入したことが確認される。

出版社と電子書籍ストアは、DRMは制約的だが、作者やその本のフードチェインに関わったみなが対価を受け取るための必要悪だと言う。

確かにそうだ。音楽やビデオゲーム業界も間違いなく同意見で、DRMによってシェアできる範囲が制限されている。ここでも、私たちは所有権ではなくアクセス権にお金を払っているのだ。

顧客としてのあなたは、現時点ではそれで問題ないと言うかもしれない。しかし第5世代移動通信システム(5G)が到来しようとしている今、専門家はこれからさらに、オンラインでつながる端末や家電が増えると言う。その多くは恐らくライセンス形式で使うだけで、所有はできないだろう。

本を没収するのは、どれだけひどいと言ったところで、せいぜいが意地悪止まりだ。しかし将来、生活の上で重要な持ち物がどんどん運用を中止したらどうなるのか。

思ったほどもうからないというそれだけの理由で、私たちが代金を払って購入したものを取り上げる権利を、テクノロジーの巨大企業に認めて良いのだろうか。

(英語記事 When this eBook store closes, your books disappear too