元木昌彦(ジャーナリスト)

 「新聞、テレビにできないことをやる」

 これが出版社系週刊誌の存在理由である。1956年に『週刊新潮』が出版社初の週刊誌として創刊されてから、多くの編集者、編集長が試行錯誤しながら行き着いたシンプルな結論である。

 私は週刊誌の現場に20年以上いた。「たかが週刊誌、されど週刊誌」、そう呟(つぶや)きながら、銀座のクラブから新宿ゴールデン街まで、浴びるほど酒を飲み、野良犬のように新聞、テレビにできないネタを探して毎夜ほっつき歩いた。

 『フライデー』、『週刊現代』編集長を7年半ほどやったが、編集部員の案を採用する基準も、これだった。

 私が現代の編集長だった1995年は、阪神・淡路大震災が年明け早々に起き、続いてオウム真理教事件が勃発するという騒然とした年であった。

 情報を求めて読者は何冊も週刊誌を買い、むさぼるように読んでくれた。今思えば、この頃が週刊誌の黄金時代だったと思う。

 週刊誌の部数のピークは1997年から99年にかけてである。それを最後に部数は減り続ける。

 週刊誌が読まれなくなった要因はいくつもある。インターネットの普及、ゲームやスマートフォンにカネがかかる、KIOSKなどの売り場の減少などが挙げられるだろう。

 だが、一番大きな要因は、週刊誌にしかできないテーマを見失ってしまったことと、週刊誌の最大の読者層であった団塊世代が年齢を重ね、定年、年金生活、高齢者になったことだと、私は思っている。

 夕刊紙も同じように苦境に立たされている。『日刊ゲンダイ』の幹部の話では、平日の駅売りはよくないという。売れるのは土曜、日曜の競馬のある日で、コンビニがよく売れるそうだ。経費を節減するために、夕刊フジと流通を一部で協業することを始めたという。

 山のように売店に積まれた週刊誌を、満員電車で中づりを見た乗客が次々と買っていく姿は、もう二度と見られないのだ。

東京都千代田区にある「文藝春秋」の本館ビル=2016年5月(山崎冬紘撮影)
東京都千代田区にある
「文藝春秋」の本館ビル=2016年5月(山崎冬紘撮影)
 多くの週刊誌が元気のない中、新谷学編集長率いる『週刊文春』だけがスクープを連発し、気を吐いた。特に、政治家から芸能人まで、これほど多いのかとあきれるほど「不倫」情報が毎週のように誌面に載った。

 ジャニーズ事務所、AKB48の情報も文春の一手販売だったが、これには理由がある。講談社や小学館は、少年少女を対象にした雑誌を多く出している。新潮社も10代少女向けの『nicola』がある。

 その雑誌に彼ら彼女たちを使いたいから、有名アイドルのスキャンダルは社が嫌がる。30代の頃、現代でジャニー喜多川氏のスキャンダルをやって大騒ぎになり、突然、私を婦人雑誌へ異動させ、講談社はジャニーズ事務所と手打ちにしたことがあった。

 AKB48のCDは子会社のキングレコードが発売元である。講談社ではフライデーにAKBスキャンダル禁止令が出たという噂(うわさ)まであった。