正しいこと、称賛されることはその時代や社会、国や地方によって少しずつ異なるものだ。似たような言葉で指している内容が、根本的に意味が異なることもある。評論家の呉智英氏が、隣国・韓国における「礼節・礼儀」の意味は、どのように日本と異なるのかについて、解説する。

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 保守系の月刊オピニオン誌「WiLL」四月号の特集は「さすが『礼節』の国 韓国!!」。一読してみたが、どうも予想とちがう。朝鮮(南も北も)は昔から礼節・礼儀の国と呼ばれる。昨今の韓国の暴走ぶりを皮肉って逆説的に「さすが」としたらしい。

 こういう皮肉表現はよくある。性犯罪で逮捕された宗教家を「さすが聖職者」とするように。しかし、この特集名は少し変なのだ。九人の執筆者の主張自体は特にまちがってはいない。とすると、この特集名は編集部がつけたものか。

 そこで思い出したのが、二〇〇〇年五月三十日付朝日新聞の論説委員コラム「窓」欄である。少し古い記事だが、私は某大学の比較文化論の講義資料として十年以上使っていた。この日のタイトルは「礼節の国」、筆者は一字署名で〈黄〉となっている。

 当時、森喜朗首相は「日本は天皇を中心とする神の国」と発言し、国内からも韓国からも批判を浴びた。しかし、五月二十九日に森首相と会談した金大中大統領はこれに触れなかった。それは「言いたい気持ちをじっと抑えて、静かに笑って」いる「『礼節の国』と言われる韓国の本来の姿」であり「そうした隣人の気持ちに思いを致」す配慮が森首相に欲しい、というのだ。

 私は講義でこの「窓」欄のプリントを配り、学生に聞く。韓国に行ったことがある人はいるか。五、六人の手が挙がる。韓国の人たちって、言いたい気持ちを抑えて静かに笑っている「礼節」ある人たちだったか。学生たちはちょっと困ったように首を横に振る。

 じゃあ、朝日の記事にこんなことが書いてあるのは何故だ。朝日は革新系だから韓国をほめるなんていう答えは駄目だぞ。

 学生たちは考え込む。やがて、ピンと来た一人が答える。文化のちがいですか。礼節の意味がちがっているとか。

 正解である。

 我々が今「礼儀」という時、それは基本的に西洋由来のもので、交際術のことだ。その要点は、お互いに害意を持っていないことの確認である。礼儀を英語でマナーというのはマニュアル(手引き書)と同原である。交通ルールを交通マナーというのも同じで、車が相互に左側通行するのは、お互いに「被害」に遇わないためだ。

 一方、朝鮮における「礼儀」は世界観の象徴化である。宗教儀礼に近い。礼を「のり(規範)」「あや(文化)」と読むのはそのためだ。お辞儀にも細かな意味づけがある。単なる交際術ではない。
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
 朝日新聞の論説委員も「WiLL」の編集者も、保革逆だが、ともに文化のちがいが分かっていない。

「WiLL」特集で執筆者の一人大野敏明は、韓国滞在中、返事をしなかった警官を怒鳴った話を書いている。「韓国は儒教の国」なので「高齢者である私」に返事をしないのは失礼になる。怒鳴ったら「直立不動」で返事をしたという。これが朝鮮の礼節である。大野は産経新聞元記者で韓国文化に詳しい。この一節だけが特集名にふさわしい。

●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。近著に本連載をまとめた『日本衆愚社会』(小学館新書)。

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