「親米」のねじれた「反米」


 そして、同年12月に光州のアメリカ文化院への放火事件が起き、82年3月には釜山のアメリカ文化院が放火された。85年5月には、ソウルのアメリカ文化院に大学生73人が乱入し、立てこもる事件が起きた。

 ただ当時の「反米」はまだ、ストレートな反米感情とは言えなかった。当時、ソウル大で学生運動のリーダーを務め、投獄された経験を持つ男性は、一連の事件は「反米運動ではなかった。むしろ心情的には親米とも言えるものだった」と話す。

 人権や民主主義のチャンピオンであるはずの米国が新軍部や全斗煥政権を支持するのは道理に合わない。だから、「軍事独裁政権を支持しないでほしい。本来あるべき米国の姿に戻ってほしい」と訴えかけようとしたのだという。

 この男性の後輩で、ソウルの文化院襲撃事件に関与したとして投獄された金民錫氏(元国会議員)も、「米国を信頼していたのに、米国を友邦だと信じていたのに、米国は民主主義を保護しなければいけないのではないのか、という思いがあった」と振り返った。

米国を特別視する「もう一つの背景」


 前述の論文「反米感情が国家安保に与える影響」は、日本の植民地支配からの解放者であり、朝鮮戦争で韓国を救ってくれた米国は、韓国人にとって特別な国だったとしたうえで、「米国を特別な国として認識するようになったもう一つの背景」に言及している。

 筆者が挙げた背景とは「韓国の伝統的な対外関係」である。その部分を引用してみよう。

過去において、韓国と中国の間では、弟が兄に仕え、兄は弟の面倒を見る「兄弟」のような事大関係が主要な外交形態だった。韓国人たちは、このような役割を米国が代わりに引き受けることを期待したし、韓国が厳しい時は米国が助けてくれると考えた。そして(韓国が)権威主義政権の時は、民主化へと進むように米国が圧力をかけてくれることを期待した。ある意味では、韓国人たちの間に生まれている反米的な見方は、米国がこのような韓国人たちの期待を満たしてくれることが出来ない上に、経済的な圧力を加えることに対して残念がる感情が内包されていると見ることが出来る。


 文中の「経済的圧力」は、米国による市場開放圧力や在韓米軍の駐留経費で「応分の負担」を求められるようになったことを指す。米国にすれば、経済成長を遂げた韓国には負担を求めることが可能になったというだけのことだが、論文は「韓国側は米国の態度を批判し、米国は韓国の態度に不満を持った」と指摘する。

 事大主義は、中国を宗主国とした朝鮮時代までの伝統を背景にしたものだ。論文の指摘は、80年代に「反米」とされた学生運動に身を投じた人々の証言と見事なまでに重なってくる。こうした感情が、米国に対する不満を韓国社会に広めたと言えるだろう。

冷戦終結を経て「反米」変質か


 1980年の光州事件を契機に「反米」の芽が出てきたとは言え、冷戦下の韓国の置かれた国際環境は厳しかった。当時の韓国は、冷戦の最前線に置かれていたから、自由主義陣営の盟主である米国にたてつくことなど不可能だった。経済的にも、まだまだ開発途上国の優等生というレベルであり、日米両国との関係に全面的に依存していたからだ。

 そうした環境は、冷戦終結を機に一変する。韓国は90年に旧ソ連、92年には中国との国交樹立に踏み切った。韓国では、朝鮮半島を取り巻く日米中露を「4強」と呼ぶ。冷戦が終わったことで、韓国はやっと4強すべてと国交を結ぶことができたのだ。逆に言うと、それまでの40年余りに渡り、韓国外交にとっての「すべて」とも言えた日米両国の比重は相対的に下がることとなった。

 90年代に入ると、韓国経済もいよいよ先進国水準に近づいてきた。韓国は96年、「先進国クラブ」とも言われた経済協力開発機構(OECD)への加盟を果たす。97年末に通貨危機を経験するが、大胆な構造改革を受け入れることで経済のV字回復に成功。2002年には、日本と共催したサッカー・ワールドカップ(W杯)で韓国代表が4強入りする奇跡的な成績を上げたことなどもあって、韓国はどんどん自信を深めていった。

 こうした社会状況の変化を背景に、韓国では1990年代以降、在韓米軍兵士による凶悪犯罪に社会的非難が集まるようになった。2002年には、在韓米軍の装甲車が女子中学生2人をはねて死亡させた事故で、運転していた米兵らが軍事法廷で無罪になったことを契機に反米感情が爆発し、ソウルなど各地で数十万人がロウソクを手に集まる抗議集会が開かれた。同年末の大統領選と時期が重なったこともあり、「反米的」と見られていた盧武鉉氏が当選する強い追い風となった。

 盧氏は選挙期間中、反米集会を直接支援するようなことは避けていた。ただ、盧氏はもともと「米国と水平(対等)な関係を作る」と主張していた。その盧氏を当選させた時代の空気は、1980年代の反米にあった「米国に対するあこがれ」とは異質のものだったと言えるだろう。