つまり、AKSには「自らには大した落ち度もなく、むしろ問題はアイドル側にある」とでもいうべき、およそ常識外れの姿勢が見て取れる。今回の山口の卒業報告にもその点が明記されている。

 事件のことを発信した際、社長には「不起訴になったイコール事件じゃないってことだ」って言われ、そして今は、「会社を攻撃する加害者だ」と言われていますが、ただ、仲間を守りたい健全なアイドル活動できる場所であってほしかっただけで、何をしても不問なこのグループに、もうここには、私がアイドルをできる場所でなくなってしました。
 目をそらしてはいけない問題に対して、「そらせないなら辞めろ、新生NGT48を始められない」というのがこのグループの答えでした。


 組織や企業の問題を告発した人間が、その組織から追いやられるというのは、ブラック企業の典型的な手法である。山口がこのような辛い心情に陥り、そしてNGT48を去ることは本当に残念で仕方がない。

 またNGT48だけではなく、AKB48グループの総合プロデューサーである秋元康氏の「沈黙」も、非常に問題ではないか。秋元氏の言及は、社会的な批判が強まった1月14日にAKS側が開いた会見で、事件について「大変憂慮している」と松村氏が明かしたぐらいだ。

 だが、社会的には、NGT48も他のAKBグループも「秋元康のAKB48」というイメージで見られていることは間違いない。そして彼は、NGT48が順調なうちは、このイメージを利用していたのではないだろうか。NGT48結成直後の2015年、当時の泉田裕彦新潟県知事との対談で、NGTを利用した地方創生について熱く語っていた。

 上手くいくときには、AKB48の制作者として自身を売り出し、そして現在のような批判の強い時期には沈黙を続ける。これもまた社会的な常識とはかけ離れているように、筆者には思える。
AKB48グループの総合プロデューサーを務める作詞家の秋元康氏
AKB48グループの総合プロデューサーを務める作詞家の秋元康氏
 もし「事務所内部での仕事では、アイドルのマネジメントには関わっていない」というムラ的な発想を持ち出すのであれば、「秋元康のAKB48」という虚像で今まで得てきた「対価」を捨て去るべきだろう。率直にいえば、AKBグループから去るべきである、と筆者は思う。

 2013年、筆者は『日本経済復活が引き起こすAKB48の終焉(しゅうえん)』(主婦の友社)を上梓した。その書籍では、景気変動と女子アイドルグループの盛衰を指摘した。その際に「予言」したのが、社会的なものとの対立がAKB48存亡の鍵を握ることであった。同著の一節を引用して結びたい。

 社会とAKB48の世界は、相互にその関係を深めていき、AKB48も意識的に「社会を変える」位置についたと私は認識しています。その相互のコミットが強まれば強まるほど、AKB48ワールドと一般社会の緊張の度合いもまた強まっていかざるを得ないのです。