山田順(ジャーナリスト)

 ムンフバト・ダバジャルガル少年は、小学生のとき伯父の牧場で過ごした夏休みが忘れられない。井戸で水をくみ、馬に乗って羊の世話をし、草原を走るウサギを捕まえて焼いて食べた。祝日には、羊の丸焼きを丸かじりし、馬乳酒を飲んだ。

 父はレスリングでモンゴル初の五輪メダリストの英雄、母は元外科医という家庭で何不自由なく育ったため、ブフ(モンゴル相撲)には真剣に取り組んだことはなかった。それが、15歳のとき、日本の相撲に憧れ、両親に日本行きをせがんだ。両親は「日本の厳しい相撲に耐えられるわけがない。すぐに戻ってくる」と、泣く泣く送り出した。

 2000年10月、6人の力士志望者といっしょに来日し、大阪の物流会社、摂津倉庫の相撲部に入った。しかし、他の志望者は次々に入門が決まるも、力士候補としては小柄で体格も痩せ型の少年を受け入れてくれる部屋はなかった。

 一肌脱いだのは、既に来日して活躍していた旭鷲山だった。師匠の大島親方(当時、元大関旭国)に頼み込み、宮城野(元幕内竹葉山)部屋に押し込んでもらった。弱小部屋を率いる宮城野親方は、この色白の少年に全く期待していなかったという。ともかく、力士としての体格をつけさせるため、入門から2カ月間は稽古をさせず、ひたすら牛乳を飲ませ、吐くまで食べさせたという。

 初土俵は2001年3月。番付が付いた5月場所は序の口で3勝4敗と負け越した。しこ名は、色白だったことから白鵬と付けられたが、当時は誰もこの少年が将来の横綱になるとは思わなかった。

 その白鵬が、ついに日本人になることを決意し、日本国籍取得に動き出したことが報道された。すると、案の定というか、バッシングの声がインターネットを中心に沸き起こった。

 このバッシングを生み出している根底には、白鵬には日本として、さらに言えば横綱としての「品格」が欠如しているという考え方がある。
2019年4月、4月春巡業で取材に応じる横綱白鵬
2019年4月、4月春巡業で取材に応じる横綱白鵬
 また、日本国籍を取得すれば、日本人として東京五輪で土俵入りする。さらに、引退後は親方として白鵬部屋を興し、ゆくゆくは理事長になる可能性がある。そうなれば、「日本の国技」はモンゴルに乗っ取られてしまうという感情的反発がある。

 今、世界では移民問題から「外国人排斥」の動きが広がっている。こうしたナショナリズム回帰の風潮も、白鵬バッシングに勢いを与えている。

 白鵬が尊敬し、目標としてきたのが、「昭和の大横綱」双葉山である。双葉山は、大分県の石炭を運ぶ回漕(かいそう)業の家に生まれた。6歳のとき右目を痛めてほぼ失明し、9歳のとき母を亡くし、13歳のとき父の船が沈没して九死に一生を得た。