3.変節と日和見主義


 2008年の大阪府知事選挙において、橋下氏は、自由民主党大阪府支部連合会の推薦と、公明党大阪府本部の支持を得ていた。その当時の橋下氏は、自民党大阪と良好な関係を結んでいたのである。当然、橋下氏の府知事当選は、自民党大阪の勝利でもあった。その様子は、次のように報じられている。

 自民党の中山太郎・府連会長は『政権与党の勝利。橋下氏の知名度と自公の組織力が功を奏した結果だ。自分の選挙のように嬉しい』と声を弾ませた。


 ちなみに、当時の自民公明両党は、衆議院で安定多数の議席を擁する政権与党であった。2005年の総選挙――いわゆる郵政選挙――において、自民党は296議席、公明党は31議席を獲得していたからである。だから、橋下氏の当選は、まさに「政権与党の勝利」であった。端的に言えば、初めて選挙に出た橋下氏は、政権をもつ既成政党に庇護されて当選したというわけである。

 だが、府知事選の翌年、すなわち2009年に入ると、その政権与党の雲行きが次第に怪しくなって来る。そして、同年7月に衆議院が解散される頃になると、民主党の勢いが頂点に近づいていた。その空気を、橋下氏が嗅ぎ付けないはずはない。事実、翌月に行われた総選挙では、自民党が歴史的な大敗を喫し、民主党に政権の座を奪われてしまうのだ。橋下氏の府知事当選を「自分の選挙のように嬉しい」と声を弾ませた中山太郎氏も落選の憂き目に遭い、涙声で悔しさをにじませることになる。問題は、その「悔しさ」の理由である。

 知事選で推薦した橋下徹知事が民主支持を打ち出したことも話題に上り、大阪府連会長の中山太郎氏は「考えもしなかった」と涙声で悔しさをにじませた。……中山氏は、衆院選を巡る橋下氏知事の行動に触れ、「本当に考えもしなかったような態度を取られた」と声を振るわせた。会見でも橋下知事への怒りは収まらず、「党員は皆怒っている」とまくし立てた。……一方、批判を受けた橋下氏知事は……「国のことを考えると、今回は民主党に頑張っていただきたいと思っています」と述べた。

 橋下氏は、知事選で世話になった人々への感謝の情を示すことなく、またもや政権与党の側に付いた。そして、翌年4月には、時の空気を読んだ自民党大阪の一部地方議員が橋下氏に合流し、大阪維新の会を結成する。この地域政党は、自民党が最も苦しかった時代に自民党から抜けた人々を中心に結成されたのである。松井一郎氏が、その代表格であろう。
分党をめぐり会見する「日本維新の会」の橋下徹共同代表=2014年5月、大阪市役所
 ともあれ、民主党政権が誕生するや否や、橋下氏は、いそいそと新たな与党の政策に追従し始めた。その典型は、高校授業料の無償化である。総選挙に大勝した民主党が掲げていた目玉政策を、橋下氏が見逃すはずはなかった。すぐさま実行に移したばかりか、民主党政権が実現した公立高校の無償化の上をゆき、大阪府独自で「私立高等学校等授業料支援補助金制度」を創設したのである。これによって――特に2011年には――私立高校生の授業料負担は、年収610万円程度までの世帯では無償となり、同800万円程度までの世帯では保護者負担の上限が10万円となった。

 なるほど、この制度そのものを高く評価する者は多いであろう。だが、忘れてはならない事実がある。橋下氏は、2008年10月23日、私学助成を減らさないで欲しいと訴える経済苦の女子高生に対して、「日本は自己責任が原則ですよ、誰も救ってくれない……この自己責任の日本から出るか」と言い放ち、泣かせてしまっていたのだ。生活が苦しいので私学助成を減らさないでという切実な訴えを断罪するごとく全否定した張本人が、一転して私立高校授業料の無償化を行ったのである。

 これらの経緯に見られるとおり、橋下氏の場合、堂々と明言したことと実際の行動が全く噛み合わないのだ。たとえ客観的に見れば無責任であろうとも、そんなことにはおかまいなしで、勝つことや票を集めることが全てだからである。言うまでもなく、「民主党に頑張っていただきたい」という主張にも、一貫性など微塵もなかった。自民党員を怒らせてまで支持した民主党政権が倒れる数ヶ月前になると、橋下氏の態度は豹変する。そのことに関しては、次のように報じられている。2012年4月のことである。

 大阪市の橋下徹市長は13日、市役所で報道陣に、「あとは国民が民主党政権を倒すしかない。次の総選挙で(政権を)代わってもらう」と述べ、民主党政権の「倒閣」を宣言した。


 ここでも、橋下氏は見事に空気を読み、時流に乗ったのだ。ただし――少なくとも地元大阪では――自民党ばかりか民主党をも完全に敵に回すことになった。かくして、橋下氏は、2012年の衆議院議員総選挙に際して、自ら日本維新の会を立ち上げたのである。その日本維新の会に、前回の総選挙で民主党大勝の波に乗った松野頼久氏や小沢鋭仁氏や今井雅人氏や石関貴史氏らが合流したことは、非常に興味深い事実だと言えよう。ちなみに、民主党政権時代、小沢鋭仁氏は環境大臣、松野頼久氏は内閣官房副長官を務めていた。