羽毛田信吾(元宮内庁長官)

 「平成」から「令和」へ、御代替わりの時を迎える。平成の後半、11年間を天皇陛下のお側近くで勤務した者としては、さまざまな困難を乗り越えてご在位の最後まで誠心誠意を貫き通されたお歩みを思い、感慨ひとしおである。

 平成は、世界的にはベルリンの壁の崩壊とともに明けたが、その後の展開は必ずしも協調と平和には向かわず、民族、宗教などの対立が支配する複雑な様相を呈している。

 わが国も、少子高齢化が進む中、バブル経済がはじけて「平成不況」に見舞われ、さらに地震、豪雨など大規模な自然災害が多発した時代でもあった。平成もまた平坦(へいたん)ならざる苦難の時代だったと言えよう。この苦難の時代にあって、陛下は象徴としての望ましい在り方を常に自らに問いつつ、務めに身をささげてこられた。また、陛下のお考えの最も良き理解者として一心に支えてこられたのが皇后陛下であった。

 陛下がどのような思いと覚悟で務めを果たしてこられたかは、平成28年8月8日のビデオメッセージ「象徴としてのお務めについてのお言葉」に凝縮されているように思う。

「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」

その模索の中から、象徴天皇の道を、国民の幸せや平和を祈ると同時に、積極的に人々の傍らに身を置き喜び苦しみに心を寄せることにあると思い定め、全身全霊を傾けてその実践に努めてこられたのである。

 私が宮内庁在勤中、最も印象深かったことを二つあげるとすれば、一つは、平成23年の東日本大震災における両陛下のなさり様であり、いま一つはサイパンへの慰霊の旅である。いずれについても私は、平成における象徴天皇の道の極致のように思った。
山田町役場に到着し、出迎えた人たちに声をかけられる天皇、皇后両陛下=2016年9月、岩手県山田町(代表撮影)
山田町役場に到着し、出迎えた人たちに声をかけられる天皇、皇后両陛下=2016年9月、岩手県山田町(代表撮影)
 平成23年3月11日に東日本を襲った未曾有(みぞう)の大災害に際して、両陛下は7週間連続して自衛隊機とヘリコプターを乗り継いでのお見舞い行脚を続けられた。避難所で、膝をついて一人一人丁寧に見舞われる姿、がれきの山と化した街並みに黙祷(もくとう)される姿、ヘリコプターから眼下に広がる無残な津波の傷跡を悲痛な面持ちで見入られる姿、実に気の重い随行であった。同時に、人々の身の上を案じられる両陛下と、立ち直ろうという気持ちでそれに応える被災者との心の交流を間近に見る感銘深い随行でもあった。

 被災者のお見舞いに限らず、陛下と国民の関係は、一人一人の喜び悲しみに心を通わされ、その積み重ねの先に国民全体がある、そういう有り様ではないかと思う。個を通じて全体を見ると言ったらよいのだろうか。