渡邊大門(歴史学者)

 前回述べたように、多くの日本人は多くが東南アジア各地またはポルトガルに送り込まれ、さまざまな形で労働を強いられた。天正遣欧少年使節の面々は、ヨーロッパの人々が親切であるとか、日本人奴隷がキリスト教の教えを受けることをもって、自らを納得させていた感がある。

 ところで、日本人奴隷たちの実態は、どのようなものだったのだろうか。以下、歴史学者、岡本良知氏の研究によって、確認することにしよう。1551年11月、ポルトガル人司教のカルネイロは、マカオから書状を送った。次に、岡本氏の『改訂増補 十六世紀日欧交通史の研究』からその内容を掲出する。

 当地方(マカオ方面)に来るポルトガル人は、皆真理を忘却している。その理由の一つは、商売の欲望である。もう一つは、日本から来たポルトガル人が女奴隷のために罪に陥っていることだ。

 キリスト教布教と相まって、ポルトガル商人が日本にやって来たのであるが、あまりに金もうけに熱中していることは非難されてしかるべきだったといえる。彼らは、完全にキリスト教の真理から逸脱していた。問題は、二つ目の理由である。

 少し婉曲的な表現をしているが、これはポルトガル人が奴隷となった日本人女性と性的な関係を結んでいたと見て間違いない。これまで豊臣秀吉の時代の天正年間を中心に見てきたが、それより約三十数年前にポルトガル人が日本人奴隷を買っていたのは事実であろう。しかも、それは彼らが性的な欲求を満たすため、女性の日本人奴隷を買っていたとみてよい。

 このようにポルトガル人がキリスト教の信仰を忘れ、女性との性的な快楽に溺れることは、決して許されることではなかった。岡本氏の指摘によると、こうした事象は散見されるとのことである。

 1583年、マカオを出発しインドへ向ったポルトガル船は、マラッカに近いジョホール沖で座礁するに至った。それは、日本や中国で活動していたポルトガル商人の放逸な行為(性にまつわる逸脱行為)に原因があるとし、それゆえに神罰が下ったとされている。すっかり女性の虜(とりこ)になっていたのだ。
※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ)
※画像はイメージ(ゲッティ・イメージズ)
 その事実は、次のように詳しく記述されている。

 神はポルトガル商人らが神を恐れることなく、色白く美しき捕らわれの少女らを伴い、多年その妻のように船室で妾として同棲した破廉恥な行為を罰したのである。この明らかな大罪は、神からも明白に大罰を加えられたのであった。それゆえ、彼らに神の厳しい力を恐れさせるため、中国・日本の航海中に多数の物資を積載した船を失わせ、もってこれを知らしめようとしたのだ。また、中国・日本方面では、ほかの国々よりもポルトガル人の淫靡な行為がはるかに多いので、神はそこに数度の台風によりそれらの者を威嚇・懲罰し、その恐ろしい悪天候により怒りを十分に示そうとしたことは疑いない。

 この記述を見ると、日本だけでなく中国からの女奴隷も餌食(えじき)になったようである。宣教師たちは、苦々しい思いで彼らの姿を見ていた。こうした原因の一つには、ポルトガル商人の多くが独身者であったという指摘がある。独身であるがゆえに女性を求め、それゆえに性的に乱れた生活をしていたのである。