笠原英彦(慶応大学教授)

 近時、再び「愛子天皇」待望論が浮上している。かつて小泉純一郎内閣のときにも同じような現象がみられた。新たに即位された天皇陛下の、皇太子時代の2001年12月に、待望の愛子さまが誕生したときである。愛子さまのご誕生は、いわゆるお世継ぎ問題が懸案となっていただけに、長い不況にあえぎ閉塞(へいそく)感漂う当時の日本に実に明るい話題を提供した。この吉報に多くの日本国民が歓喜した。女性天皇待望論が自然に湧き上がってきたのも当然であろう。

 しかし、小泉内閣が実際に皇位継承問題を政治日程にのせたのは、2004年のことである。実はそれ以前の1997年、橋本龍太郎内閣の下でひそかに、皇室典範を所管する内閣官房を中心に、宮内庁と内閣法制局から有能なスタッフを集め、極秘の研究会を組織していた。

 研究会は当時の古川貞二郎内閣官房副長官が故橋本首相の了解を得てスタートした。研究会のメンバーで研究の中心にあった宮内庁OBによると、研究会は2001年末の愛子さまご誕生により世論の動向を見極めるため一時中断され、2003年に再開、翌2004年に皇室典範の改正案を取りまとめた。その経緯についてはかつて毎日新聞が詳報したほか、本年3月下旬には政府の関係文書の存在が共同通信により明らかにされた。

 2004年12月に発足した小泉首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」のたたき台となったこの改正案は大筋、有識者会議の最終報告書に反映され、女性・女系天皇を容認する方針が確定した。有識者会議では、すでに女性宮家の創設も検討され、女性天皇のみならず女性天皇の配偶者や皇室に将来、男子が誕生した場合についても織り込み済みとされた。しかし、男系維持を掲げる保守系の団体や国会議員が猛反発する中、2006年2月の秋篠宮妃紀子さまのご懐妊発表により、同改正案は棚上げされた。

 すでにこの頃から、筆者は特定の皇族の即位を前提とした議論は危ういと考えるようになった。安定的な皇位継承のための制度設計には、冷静な判断と静かで落ち着いた議論の環境が必要である。こうした考えに今も変わりはない。そのため、率直に言って「愛子天皇」待望論に安易にくみすることはできない。何より皇位継承問題は国家の根幹にかかわる重大な課題だからである。皇后になられた雅子さまの心身のご健康などを考慮すれば、なおさらであろう。
皇室典範に関する有識者会議で最終報告書を小泉純一郎首相(右)に手渡す吉川弘之座長=2005年11月、東京・首相官邸(門井聡撮影)
皇室典範に関する有識者会議で最終報告書を小泉純一郎首相(右)に手渡す吉川弘之座長=2005年11月、東京・首相官邸(門井聡撮影)
 われわれ日本人にとって皇室とは何か。天皇や皇族からなる皇室の歴史を振り返れば、日本が危急存亡の秋(とき)にわが国を守ったのが天皇や皇室の統合力であったことに気づかされる。かつて福沢諭吉は『帝室論』の中で「帝室は政治社外のものなり」とし、政治が皇室の尊厳やその神聖さを侵すことがあってはならないと警鐘を鳴らした。