田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)
「平成」という時代が終わる。平成は経済が停滞したこと、そして日本が大規模な災害に直面したことでも記憶に残る時代となるだろう。個人的な思い出も含めて、一つの時代が終わることに、深い感慨を誰しも抱くに違いない。
平成の経済停滞と大規模災害を振り返るとき、参照すべき一人の人物を想起する。経済学者の小泉信三(1888~1966年)である。
小泉は、天皇陛下の皇太子時代に影響を与えた師として、今日では有名である。また、大正から昭和前半にかけて、経済学者だけではなく、文筆家としても著名であった。
慶応義塾大学では、教員として多くの逸材を育て、さらには塾長となって大学の発展に貢献した。昭和24(1949)年には東宮御教育常時参与を拝命し、皇太子の教育の責任を長く果たした。
小泉の貢献で注目すべきものは、「災害の経済学」という観点だ。日本でも、大規模災害に直面するごとに、経済活動が停滞し、人々の気持ちが沈み込むことなどで社会的にも「自粛」的な空気が流れることが多い。
もちろん、災害によって被災された方々に思いを寄せることは何よりも大切だ。同時に小泉は、大規模な災害のときこそ経済を回すことが重要であることを説いた。

小泉の直面した最初の国家的災害が、大正12(1923)年の関東大震災であった。死者・行方不明者10万5千人余り、日本の当時の国富の約6%を失い、また年々の国民所得でいえば約47%を失う大きな経済的被害も合わせてもたらした。
首都圏では多くの人たちが被災し、公園などで長期のバラック住まいを強いられた。また職を失い、生活の基盤を根こそぎにされた人も多かった。当時の政権の経済政策はデフレ志向の緊縮政策であり、そのことも災害の事後的な悪影響を人為的に拡大していくのに貢献した。