2019年04月30日 17:32 公開

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日本では4月30日夕、皇居での退位礼正殿の儀を終え、天皇陛下が退位した。5月1日午前0時をもって皇太子徳仁親王(59)が新天皇に即位し、元号が令和に変わる。

新天皇は、これまでの伝統にのっとった天皇とはさまざまな面で異なったアプローチをするとみられている。

徳仁親王は皇太子時代、家族や学業を優先することで、常に周囲の期待に挑戦してきた。

皇太子さまが天皇という立場を、新時代の要請に合わせてどう変えていくのか注目されているが、実際には歴代天皇の伝統の上に、自分なりの天皇としてのあり方を築いていく必要があるかもしれない。

学問に注力

新天皇は、以前とは大きく異なる日本と日本の皇室を代表することになる。

天皇陛下と異なり、徳仁親王は若いころ、自分自身の夢や学問を追求する機会があった。

学習院大学文学部史学科を卒業した後には、1983~1985年に英オックスフォード大学のマートン・コレッジへ留学した。

オックスフォード大学ではテムズ川の水運史を学び、その後、学習院で博士課程の研究を続けた。

オックスフォードでの生活は、徳仁親王に大きな影響を与えた。1993年に発行された回顧録「テムズとともに 英国の二年間」では、この時代を人生で「もっとも幸福な時間」だったと振り返っている。

1991年に皇太子となり、皇族としての責務が重くなった後も、徳仁親王は学問と世界の水運問題への情熱を絶やさなかった。2007~2015年には、国連「水と衛生に関する諮問委員会」の名誉総裁を務めている。

家族への献身

徳仁親王は30歳まで家族と同居していた。それまでの皇室では、未来の天皇は侍従によって育てられるのが伝統だったが、当時皇太子ご夫妻だったご両親の強い意向で、ご両親に育てられた。

かつては皇位継承者の教育において、皇族としての立場を自覚し、自分よりも国民を優先する姿勢を身につけることが重視されたが、徳仁親王が生まれた時代には、家族との生活も同様に大事だと考えられるようになっていた。

徳仁親王にとっての家族の重要性は、後に皇太子妃雅子さまがストレスによる「適応障害」に苦しんだ時にも表面化した。

元外交官の雅子さまは、皇室での生活や、男子の後継者を生まなくてはいけないという圧力から、2004年に適応障害と診断された。

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そのため、徳仁親王は一人娘の愛子さまの子育てで積極的な役割を担い、公務を怠っているという批判から雅子さまを守り、強力に擁護した。

娘の愛子さまも、天皇継承をめぐる議論の的になっている。1947年に制定された皇室典範では、男子だけが天皇の位を継ぐことができる。

2004年、小泉純一郎首相(当時)は、この法律を改正して女性天皇を認め、愛子さまが未来の天皇になる可能性を作り出そうとした。

この計画は2006年、愛子さまのいとこに当たる悠仁さまが生まれたことで中断され、男性後継者がいないという危険は回避された。

令和を迎えて

5月1日をもって徳仁親王は新天皇となり、日本は令和の時代を迎える。

令和は「うつくしい調和」を意味し、古代の歌集「万葉集」から引用された。

中国の漢詩などから元号の名前を取る1300年来の伝統も、ここで終わりを告げた。

世論調査によると、日本人の7割以上が令和という新元号を気に入っており、新天皇に対しても好意的だ。

こうした高評価がある一方、変化の激しい日本において新天皇が持つ役割については疑問点が残る。

天皇の任務は象徴的なものがほとんどで、各地をめぐっての国民とのふれあいや、他国の元首や政府高官との会談が主だ。

しかし、第2次世界大戦後に生まれた最初の天皇は、それ以上の変化を期待されているかもしれない。

日本経済新聞は社説で、世界が移り変わる中、この新しい時代に新天皇がどのようにご自身の立場と責任を捉えるのか注視していると述べた。

娘が天皇になれないと定める法律には、特に関心があるだろう。

新天皇が法改正を望むのかどうかに注目がある待っているが、これまでのところ、徳仁親王はこの話題を避けている。

学問びいきの皇太子はその代わり、まずは歴代天皇に学び、公務を続けたいと述べている。

(英語記事 The prince taking Japan into a new era