まずは「天下布武」印を少し整理しておく。

①第1バージョン
 永禄10(1567)年11月から使用開始。一重の楕円(だえん)形の中に天下布武の文字
②第2バージョン
 永禄13(1570、4月に元亀へ改元)年3月から使用開始。一重の楕円形の外周に馬蹄(てい)形の太線が加わる
③第3バージョン
 天正5年から使用開始。「双竜形天下布武印判」と呼ばれ、文字通り2頭の龍が「天下布武」の刻文を囲む


 ②の馬蹄形というのは、文字通り馬のひづめの形だ。日本では近世まで馬のひづめに蹄鉄(ていてつ)をつけることは九州の一部を除いてほぼ無く、馬沓(うまぐつ)・馬わらじと呼ばれる皮革や藁(わら)で作った馬用のわらじをはかせた。欧米では馬のひづめに装着する蹄鉄=ホースシューには魔除けのパワーがあると考えられている。東京ディズニーランドにあるショーレストラン、「ザ・ダイヤモンドホースシュー」の正面入り口の上に掲げられている看板の大きい蹄鉄がまさにそれで、蹄鉄を魔除けのお守りとしてU字形に扉へ打ち付けるという慣習に基づいた演出だ。

 一方の日本では、馬沓には病気や悪霊を退散させ、雷を封じる効力があると信じられてきた。道ばたに履き捨てられた古い馬沓は、拾って家の軒下に下げておけば魔除けや招福のお守りになる、というものだ。この迷信は現在でも各地に残っている。

織田信長が使用した「天下布武」の印
織田信長が使用した「天下布武」の印
 また、山梨県の小室浅間(おむろせんげん)神社では流鏑馬(やぶさめ)の儀式でついたひづめの跡で地元の吉凶を占う風習が残っている。

 「天下布武」を包み込む馬蹄形。信長がこの印判にバージョンアップした永禄13年3月といえば、越前朝倉義景攻めに出陣する直前だ。傀儡の将軍・足利義昭を戴きながらも、自身が天下(将軍の支配域)への号令を開始するというターニング・ポイントにあたる。このタイミングでの馬蹄形印判は、まさに信長の信長による「天下布武」に幸運を呼び込む仕掛けだった。

 そして、今回の「双竜形天下布武印判」だが、2頭の龍は下を向いている。つまり下り龍なのだが、例えば上野東照宮の唐門の彫刻「昇り龍」「降り龍」がセットであること、富塚鳥見神社などの龍柱も「昇り龍」「降り龍」が対になっていること、沖縄の首里城の正殿の妻飾にいたっては「降龍」のみの対であることで分かるように、「昇り」「降り」には上下の差はない。