90年代のケニア勢の出現後、日本のマラソンは低迷した。ボストン、ロンドン、シカゴといったメジャー大会での活躍は途切れ、走る姿すら見かけなくなった。招待を受けられないからだ。都市マラソン発祥のボストンを制した川内なら、国内大会はもとより、アフリカ勢ばかりの国際大会でも「目玉選手」として売り込める。

 一体、川内はどんなプロランナー像を描いているのだろう。

 「ぼくは子供たちのロールモデルになりたい。努力すれば、必ずできるんだということを伝えたい。プロにもロールモデルにもいろいろとあると思います。オリンピックでメダルを目指す人もいるでしょう。ぼくは、自分のできることをやるだけです」

 トップランナーなら、誰でも努力している。見てほしいのは、川内のマラソンランナーらしいしたたかさ、合理性、適応性だ。

 10年前に埼玉県庁に入った頃の目標は福岡国際、東京マラソンといった冬のレースで勝つことだった。暑さに弱いと自覚していたからだが、福岡も東京も選手権の代表選考レースだったため、成績が上がった結果、世界選手権の代表に3度、アジア大会にも出ることになった。

 本命ではない夏のレースを、新たな挑戦と捉えると同時に、別のメリットも頭にあったはずだ。

 公務員は約3年に1度、必ず異動がある。県民注目の代表選手になれば、県の人事課は彼を馴染(なじ)んだ職場環境=競技環境から引き離すことはできない。タダでは起きない計算強さ、順応力が、ボストンの優勝を導いたのだ。

 やっぱり暑さは苦手ということが分かったから、プロ転向して、わが道を歩み始める…。自分の目標をとことん追求する知恵としたたかさこそ、マラソンランナーの証しである。

 NHKの大河ドラマ『いだてん』で紹介されている金栗四三もそれほど才能があったわけではない。

 初めてのマラソンで世界記録が出ると、大会関係者も「おかしい」と思って何度も距離を測り直し、結局、結論は出なかった。出場した3度のオリンピックも2度は棄権している。
防府読売マラソンで2連覇を果たした川内優輝=2018年12月16日、山口・防府市陸上競技場
防府読売マラソンで2連覇を果たした川内優輝=2018年12月16日、山口・防府市陸上競技場
 金栗が評価されるべきは、オリンピックより、スポーツで初めて「子供たちのロールモデル」になったことだ。小学校で模範演技をするとき、金栗はマラソンのようにではなく、めちゃくちゃに全力で校庭を周回したという。そうすることで子供たちを驚かせ、走ることが目指すに足るものということを全国に伝えていった。

 日本のマラソンは低迷を脱していない。いまこそ川内優輝のプロ転向の必然性を素直に受け止め、日本のアマプロ問題の論議を進める機会だと思う。

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