裁判で問われているのは何なのか


 最後に裁判をめぐってもうひとつ述べておきたいことがあります。それは私が書いたコラムが有罪になるのであれば、世界中にあふれる韓国や大統領に関する報道について韓国の国家指導者が任意に有罪にできうることになってしまうのではないか、という疑義です。韓国の検察当局は、本件は韓国国内で起きた犯罪である、国内法を適用することに何の問題もなく、それを政治問題や外交問題にすり替えるのは許されないと反発しています。

産経新聞ソウル支局内で仕事をこなす加藤達也前ソウル支局長=2014年10月、ソウル(撮影・桐山弘太)
 特派員が韓国内において韓国国内法を遵守して暮らしていくことは確かに当然です。しかし、今回の事案で刑事処罰の対象となっているコラムは日本の読者に向けて日本語で書いたものです。記事を執筆した場所は確かに韓国国内ですが、記事の編集作業は東京との間でやり取りを重ねながら掲載に至ったものなのです。

 なるほどインターネットに国境はありません。掲載後の記事を翻訳すれば、日本語のわからない韓国の読者でも読むことは可能でしょう。大統領本人がどういう経緯で私の記事を読まれたのか、わかりませんが、重要なことは先の検察の論理を無条件に認めてしまった場合、世界中,特にネット上に存在しうる韓国大統領への批判などにも韓国国内法が無条件に適用され、処罰されうることになりはしないか。裁判の争点には今のところなってはいませんが、その点についてどう整理して考えているのか、納得できる回答がほしいと思っています。

 私は前回の手記で、韓国国内で今起きている自由な言論が蝕まれている光景について韓国の方々ももっと敏感になった方がいいと思うと述べました。日本人とか韓国人、あるいは産経新聞といった、さまざまな立場を超えてまず守らねばならないものは一体何なのか。そのことをしっかり見据えてほしい。そう心の底から願っているとも書きました。

 その気持ちに今も全く変わりはありません。私はこの刑事裁判に誠実に臨むつもりです。私の主張は全て法廷で述べるつもりですし、この裁判から逃げるつもりも隠れるつもりも全くありません。

 ただ、この裁判で本当に問われているもの、裁かれようとしているものは何か。それは被告人である私ではなく、むしろ韓国社会の側ではないのだろうか、という思いがします。韓国の司法が明察を持って、公正な裁きを貫くことを願っています。

(構成 月刊正論編集部安藤慶太)
※インタビューは2014年12月3日に行われたものです。