ゆたぼんとお父さんとの関係も、とても印象的だった。ゆたぼんが話すことや、行動、その場の動きは、すべてご本人の意志に基づいていると感じられた。お父さんは、やさしくて控えめな印象だった。元気いっぱいのゆたぼんを温かく見守っているという感じだった。

 ネットの一部で言われているような、ゆたぼんをお父さんが「プロデュース」しているだとか、ゆたぼんがお父さんに焚きつけられているとか、そういう気配は私が見る限り全くなかった。

 ゆたぼんとお父さんについてネットで言われていることの少なくとも一部分は、実際とはかけ離れた「虚像」であるように思われる。人々は、ゆたぼんのニュースをきっかけに、自分たちが見たいものを見て、想像したいものを想像しているのである。

 それにしても、ゆたぼんのことで、なぜ人々はこんなに「熱く」なっているのだろうか。ゆたぼんに会ってその映像が流れたこともあって、多くの方が私にもご意見をお寄せくださった。

 「義務教育なんだから、行くのが当たり前」、「不登校をネタに商売をしている」、「学校に行って勉強しないとまともな大人になれない」など、ゆたぼんのことを心配しつつも、強い調子で批判するようなものも多かった。

 不登校については、これまでさまざまな方々と意見交換をしたり、また実際に学校に通っていない子供たちとも話してきたけれども、「行かない」のではなくて「行けない」ということがほとんどで、つまりは心理的、身体的にきつくて学校に行くのが無理なのである。

 ゆたぼんの場合もそうだと思うけれども、不登校の「理由」をあれこれと詮索することも意味がないことが多い。学校に行けない、行かない理由は複合的なもので、本人にも家族にもはっきりとは分からないことがしばしばである。分かったとしても、それを「解決」すればまた学校に行くと期待すること自体が間違っていることもある。
※画像は本文と関係ありません(GettyImages)
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 ゆたぼんが、ユーチューバーとして活躍していることも、過大に気にする方が多いのも印象的である。ユーチューバーは小学生にとって憧れの職業の一つになったようだけれども、いつまでそのような職業形態が持続可能か分からない。私自身も一応「ユーチューバー」なので分かるけれども、よほどのアクセスが集まらない限り、生活できるような収入があるわけでもない。

 やはり、ゆたぼんに関して言えば、そこに一人の、元気で利発で好奇心に満ちた、学校に行っていない男の子がいるということがほとんど全てであって、それ以外の「ユーチューバー」であるとか、「少年革命家」であると言ったことは、あまり本質的なことではない。そのあたりを勘違いしてしまっている方が多いように感じた。