小幡和輝(起業家、コラムニスト)

 学校はなんのために存在するのか。増え続ける不登校の子供たち、学校はどうあるべきなのだろうか。

 初めまして、『学校は行かなくてもいい』という本を書いている小幡和輝と申します。

 ゴールデンウィーク明けに、10歳の不登校YouTuber、ゆたぼんくんに関して話題になりました。彼がインタビューで答えた『不登校は不幸じゃない』はもともと僕が言い始めた言葉で、僕のもとにも賛成、反対多くの意見が届いています。賛成意見の多くは「本人たちの自由だから好きにしたらいい」というもので、僕も同じ意見です。

 気になったのは反対派の意見です。彼の将来を心配しての意見であればいいのですが、自分の怒りをぶつけているような批判も多く見受けられました。

 その代表となるのが、「義務教育は国民の義務だから行かなければならない」という意見ですが、本当にそうなのでしょうか。義務教育に関する法律の条文を見てみましょう。

第4条(義務教育)

国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない。


 この条文には、保護者や行政に対して教育を受けさせる義務はありますが、子供への義務は明記されていません。もう一つ論点になるのは、2017年に施行された教育機会確保法です。

 教育機会確保法は、学校復帰を大前提としていた従来の不登校対策を転換し、学校外での「多様で適切な学習活動」の重要性を指摘。不登校児童・生徒の無理な通学はかえって状況を悪化させる懸念があるため、子供たちの「休養の必要性」を認めた。こうしたことを踏まえ、国や自治体が子供の状況を継続的に把握し、子供とその親には学校外施設などさまざまな情報を提供するよう求めている。

文部科学省が入る中央合同庁舎第7号館=2016年11月、東京・霞が関
文部科学省が入る中央合同庁舎第7号館=2016年11月、東京・霞が関
 この法律と合わせて紹介しておきたいのが、文部科学省による全ての学校に対するこの通知です。

 不登校とは、多様な要因・背景により、結果として不登校状態になっているということであり、その行為を「問題行動」と判断してはならない。不登校児童生徒が悪いという根強い偏見を払拭し、学校・家庭・社会が不登校児童生徒に寄り添い共感的理解と受容の姿勢を持つことが、児童生徒の自己肯定感を高めるためにも重要であり、周囲の大人との信頼関係を構築していく過程が社会性や人間性の伸長につながり、結果として児童生徒の社会的自立につながることが期待される。


 文科省が示したこの姿勢から解釈できるのは、子供からすれば義務はなく、権利ではないかということです。

 保護者には、子供が望めば教育を受けさせる義務はあるものの、親子で相談した結果であれば義務違反にはあたらないと考えます。では、なぜこのような批判が出るのでしょうか。義務教育の条文を正しく理解していない人が多いということもあると思いますが、僕の意見はこうです。