2019年06月07日 11:27 公開

ジョン・ケリー、BBCストーリーズ

多くの人にとって、実刑判決を言い渡されるのは人生最悪の出来事だろう。しかし、家庭内暴力(DV)を経験している多くの女性受刑者には、事態は少し変わってくる。

被告席に座り、裁判官から刑務所行きを命じられるのを待つ間、リリー・ルイスさんは笑いを抑えられない自分が意外だった。

その理由は自分でも分からなかった。不安からではないことは確かだったし、彼女の置かれている状況に面白いことなど何もなかった。検察が禁錮8年を求刑したとき、リリーさんは自分の弁護士から注意を受けた。

しかしリリーさんには、この裁判全体が非現実的な、よくできた冗談のように思えた。検察官が襟を正しながら彼女の前に立つたびに、なんてお芝居じみているんだろうと考えていた。

隣では共同被告の女性が泣いていた。嗚咽(おえつ)を漏らしながら、「怖い」と話しかけてきた。リリーさんは彼女を慰めようとしたが、何におびえているのか分からなかった。

刑務所の外ではかつて、リリーさんは怒鳴られ、虐待され、傷つけられた。彼女はDV被害者だった。イギリスの刑務所改革基金によると、女性受刑者の57%がDVの被害を受けている。リリーさんは中毒を克服し、何度も自殺を試みた。

刑務所の中では、リリーさんは彼女を殴り強姦する男からも、彼女に銃口を付きつけた恋人からも、彼女を中毒に陥らせ最終的に共犯者となったパートナーからも離れ、安全な場所にいられる。

すでに子どもからは引き離されている。その苦しみは絶え間なくリリーさんを苦しめている。これ以上、失うものはなにもない。

刑務所に入れて欲しいとリリーさんは願った。準備はできている。今すぐにでも、と。

そしてついに、起立して判決を言い渡される時が来た。リリーさんは黒いズボンにオレンジのセーターを着て、ウィッグを着けていた。彼女の髪は、何度もつかまれ引きずり回されて、すっかり薄くなっていた。

有罪判決が下った後、リリーさんは最初の週末を刑務所で過ごした。灰色の受刑者服を着て座り、ここでルーティンの毎日を過ごすのはどんなに簡単だろうと考えた。きっと学校のようなものだ。

リリーさんは詐欺共謀罪で有罪となった。裁判官から告げられた刑は禁錮7年。公判中に主張を無罪から有罪に変えたことで、減刑されたのだ。

リリーさんの顔には笑顔が張り付いたままだった。

「少なくとも8年じゃない」

7年の半分は3年半。模範囚となれば3年半で釈放されると自分に言い聞かせた。それならどうにかできる。

やがてリリーさんは車に乗せられ、刑務所へと向かった。他の受刑者は刑務所職員を「先生」と呼んでいた。

「先生、どれくらい遠いのですか?」

「先生、お手洗いに行きたいのだけど」

リリーさんは静かに、そんな媚びた話し方はしないと心に決めた。代わりに4人の子どものことを、彼らが母親なしにどれほどやっていけるのかを考えた。次は何が起こるのだろう? いつ受刑者服をもらうのだろう? どんな仕事をやらされるのだろう?

リリーさんはまた笑い出した。なぜこのタイミングなのか、自分でも分からなかった。

車の中で、リリーさんは神様に感謝の気持ちを捧げた。

「あなたが私にこの時間をくださった。私は何をすればいいんでしょう?」

リリーさんは1971年、イングランド北東部マージーサイドのウィラルで生まれ、そこで育った。3人姉妹の末っ子で、姉とは7歳離れていた。父親はガーナ出身で、母親は白人。幼稚園では唯一、人種の混ざった子どもだった。

リリーさんは子ども時代ずっと、自分が他と違うことを意識して過ごした。学校ではあまり友達を作らなかった。

7歳のころの話だ。ある朝、リリーさんが校庭に走って出て行くと、女の子のグループが半円になってこんな歌を歌っていた

あなたのママはどこ? あなたのママはどこ? 遠い、遠いところに行っちゃった……

女の子達はリリーさんを見て笑った。リリーさんの知らない何かを知っているようだった。

その日の午後、リリーさんは迎えに来た母親に、歌の意味を聞いた。

自分が養子だと知らされたのはこの時だったという。リリーさんの母親はその事実を、まるで夫と自分が人形を棚から選んだかのように話した。また、リリーさんを初めて家に連れ帰ったとき、あまりに服が臭かったので捨てなくてはならなかったことも話した。

実の母親について聞くと、母親はただ「あなたが欲しくなかったのだ」とだけ教えてくれた。生みの母親はリリーさんに別れを告げるチャンスがあったが、それをふいにしたのだという。実の父親については一切話してくれなかった。

リリーさんはこの事実を受け入れようとした。なぜ生みの両親が自分を欲しがらなかったのか分からなかった。なぜ自分がそんなに臭かったのか考えた。人形のようになろうと努力したのは、棚の中で一番可愛い人形になれば、選んでもらえると考えたからだ。

何よりも、再び捨てられることを怖れた。

自分の半生を思い返すと、この時から感情が成長しなかったことが分かるとリリーさんは言う。拒否されること、置き去りにされることへの恐怖はなくならなかった。

リリーさんは15歳で飲酒を始め、一度飲み出すと止まらなかった。そして何人ものボーイフレンドを作った。

「誰とでも寝るような人間になったし、それが愛だと感じていた。誰かに性的な興味を持たれると、自分は愛されている、求められていると感じた」

ボーイフレンドに殴られても、それが愛の形だと正当化した。

リリーさんは刑務所職員に連れられて女性刑務所の研修棟に入った。地下の狭い廊下は天井が低く、壁は黄色く塗られていた。数メートル進むたびに、自分の背後で扉が閉まる音を聞いた。

死刑に連れて行かれるみたい。

そして自分の独房にたどり着いた。窓には格子が取り付けられている。部屋の角には金属製のトイレが置いてある。警察の拘置部屋や、この週末を過ごした別の刑務所と比べても、簡素なつくりだった。

本当に刑務所にいるんだ。

1週間後、リリーさんは別の棟に移された。そこでは自傷歴のある女性と同室だった。窓の外では服役囚が雪の中を歩いているのが見えた。3月はまだ寒さが厳しい。その光景を見て、リリーさんは戦争中の捕虜を思い浮かべた。もしかしたら自分はシベリアにいるのかもしれない。

リリーさんには受付の仕事が与えられた。入所する受刑者を出迎える仕事だ。その多くはヘロイン中毒を患っていた。彼女たちは大抵、ここに来るまでに大便を漏らしたり嘔吐(おうと)したりしていて、到着するなりシャワーに連れて行かれた。不安そうに「薬が必要だ」と訴えてくることもあった。薬とはメサドン(ヘロイン中毒の治療に用いられる麻薬)のことだ。メサドンを待つ間、彼女たちは泣いて震えていた。

明らかに心の健康を損なっている服役囚もいた。ある人は髪の毛を引っ張ったりいじったりしすぎて、ところどころ、はげたドレッドヘアのようになっていた。枕カバーをしゃぶって赤ちゃん言葉で喋る人もいた。リリーさんは、2018年という時代にこうした人たちが刑務所に入れられているのが信じられなかった。助けてもらえるところにいるべきなのではと思った。

日常にはすぐに慣れた。受付から建物の清掃に仕事が変わり、忙しくなった。今日が何曜日か、今が何月なのかを忘れるようになった。リリーさんにとって大事なのは刑務所を出る日で、それはまだ何年も先の話だった。

自分の判決について嘆いたことは一度もなかった。刑期が始まる前、リリーさんはすでに入所中は孤独になると分かっていた。誰も面会には来ないだろう。子どもたちからは引き離され、それ以来ほとんど連絡を取っていない。それは本当に悲しいことだった。

それを除けば、リリーさんは成長した。アルコール飲料にも薬物にも手を出さなかった。入所した当初は肥満だったが、今では毎日ジムを訪れ、ポリッジ(ミルクがゆ)や卵、魚を食べるようになった。自己啓発の本を読み、感謝しているものをリストにしていった。資格のために勉強し、試験に合格した。生活を正すことで、達成感を得た。

入所から6カ月後、リリーさんは自分に判決を下した裁判官に手紙を書き、「時間という贈りもの」をくれたことへの感謝を伝えた。その後、「刑務所での経験は私には有効でした。しかし大半の服役囚のためにはなっていません」とつづった。

リリーさんから見れば、刑務所のシステムが女性服役囚のリハビリを助けていないことは明らかだった。誰もシャワーを浴びることを推奨していないようで、多くの服役囚がシャワーを浴びなかった。数学や英語の資格習得には力が入れられていたが、この女性たちに自分の面倒を見ることを教える人はどこにいたのだろう? 薬物は刑務所の外よりもまん延しているようだった。一部の棟では、服役囚は1日19時間、監禁されていた。

アルコール依存症を患っているある女性は、入所してから酒が飲めない代わりにアヘン系の麻薬中毒になった。別の服役囚は、これまでに32回の実刑判決を受けたと話した。実際、リリーさんが出会った多くの服役囚は、短い刑期を何度も繰り返しているようだった。

「この人たちへのリハビリは存在しない。そんなに長い間服役しないから、何をしても意味がない」

(イギリスの司法省は、6カ月以下の禁錮刑を廃止する案を示している。)

刑務所での生活が順調だったリリーさんは、そうでない人たちをできる範囲で助けることに時間を使おうと考えた。ほとんど食事をしない妊娠中の服役囚がいれば、なだめて何か食べさせようとした。慈善団体サマリタンズが行っている、服役囚に24時間体制で心理的に支援するサービスで聞き役のボランティアをした。読み書きの先生もした。未成年の服役囚2人の指導役も務めた。

リリーさんの目標は、できるだけ早く開放型刑務所に移ることだった。そこでは自由に歩き回ってコーヒーを飲むことも、刑務所外での仕事に就くこともできるのだ。

しかしそれまでは鍵のついた扉の向こうで、中毒症状を抱える女性たちに囲まれて過ごさなくてはならない。大みそかの日の午後8時半、リリーさんは救急車のサイレンが近付いて来るのを聞いた。この夜最初の自殺未遂で呼ばれたのだ。

救急車はその夜、何度も何度も刑務所にやってきた。


刑務所内の女性たち

  • イギリス政府が発表した女性服役囚白書(2018年)によると、女性服役囚の多くは虐待やトラウマを受けるような生活の結果、薬物の不法使用やメンタルヘルス疾患、ホームレスなどを経験している
  • 刑務所改革トラストによると、女性服役囚の57%がDVの被害者で、53%が感情的、性的、身体的な虐待を受けたことがあると回答した
  • 女性用刑務所における自傷の割合は、男性用刑務所の5倍に上る
  • 女性服役囚の半分近くが、第三者の薬物使用を支援した罪で服役していると答えた
  • 刑期が6カ月未満の女性服役囚が全体の約4分の3を占める。また、女性服役囚の4分の1から3分の1に扶養すべき子どもがいる
  • イギリス政府は2018年、女性向けの「コミュニティー刑務所」建設計画を破棄した。一方で、5カ所で居住タイプの薬物リハビリセンターを試験運用するとしているが、めどは立っていない

服役囚の女性たちと話せば話すほど、その多くに共通点があることが分かってきた。リリーさんと同じようにDVの被害者だが、助けを求められないと思ってきたという点だ。

「助けを求めれば福祉サービスがやってきて、子どもたちを取られてしまうと分かっているから、名乗りを上げるのを怖がっていた」

リリーさんにとって虐待は、10代のころから男女関係の一部だった。成人してからのリリーさんはスマートに着飾り、自身たっぷりで社交的だった。自営業を営み、プロの仕事ぶりを維持していた。その結果、リリーさんがあざを作ってきても、皆がそれを転倒によるものだと信じていた。毎晩アルコールと薬物で痛みを抑えていることには誰も気付かなかった。

マイケル(仮名)という男がいた。リリーさんが妊娠していた時のことだ。ある朝、マイケルはルイスさんの喉をつかんで階段から突き落とした。その数時間後に彼女は出産した。

それから6週間後に、マイケルは定期的にリリーさんを殴るようになった。ある時、あまりにひどい暴行に近所の人が警察を呼んだ。

警官が到着した時、当時幼稚園児だった娘のイッシーさんはこういったという。

「助けて、お母さんが死んじゃってる」

マイケルはリリーさんを殴るだけでなく、たびたびレイプしたという。

「彼はセックスしたいと思ったら、始めていた」

暴行のたびに彼はリリーさんに謝り、リリーさんは彼を許した。

「自分が被害者だとは全く思わなかった。これが自分の人生だと思っていた」

マイケルがリリーさんへの暴行罪で刑務所に入った後、リリーさんは新しいボーイフレンドを見つけた。彼は裏社会の実力者だった。

「物理的に殴られなかったから、それが虐待だとは思わなかった」

代わりにこの男はリリーさんに銃をつきつけ、撃つと脅した。リリーさんが泣いたのはたった1度、セットした髪を銃身が崩したときだった。この男は、2人の間に息子が生まれたすぐ後にリリーさんを捨てた。

その次のボーイフレンドは、リリーさんの共犯者となった男だった。

それまでも、リリーさんは痛みを和らげるためにアルコールを飲み続けていたが、この男はリリーさんと恋愛関係になるとさらに酒を勧めてきた。毎朝、グラスワインを持って起こしに来るほどだった。

時々、リリーさんに居場所を告げずに長い間留守にし、そのたびにリリーさんは彼が戻ってくるまでうつに悩まされた。

リリーさんは自宅で仕事をしていたが、このころにはアルコールを飲みすぎて午前中は働ける状態ではなかった。男はリリーさんのパソコンや電子メールを自由に見ることができた。

「彼が私の持っているデータを全て、友人のところに送信していた。最初は気付かなかった」

男はそのデータから、リリーさんが勤めている会社の顧客に電話をかけ、詐欺を働いていた。リリーさんはまた、自分の名義で銀行口座や株式会社を作ることに合意した。このころには詐欺にも気付いていたが、見て見ぬふりをすることは簡単だった。誰も撃たれたり殺されたりしないのなら、犯罪とは思えなかった。

リリーさんはこの男を愛していたが、男が14歳になったイッシーさんに大麻を勧めたことがきっかけで破局した。リリーさんは警察に詐欺について通報し、男は逮捕された。次は自分の番だと分かっていた。予想通り、リリーさんは起訴され、保釈された。リリーさんは、自分が刑務所に長いこと入らなくてはいけないと分かっていた。

それから、警察は裏社会の実力者だった前のボーイフレンドの自宅を捜査した。その2日後、警官がリリーさんから子どもたちを引き離した。


英司法省の見解

「女性を刑務所に入れても、再犯や難しい家庭環境の悪化というサイクルを断ち切ることができず、社会には利益よりも害が大きいことが調査で明らかになっている。

我々が刑の形態を禁錮からコミュニティーに移行し、薬物等の乱用やメンタルヘルス疾患などの問題に対するさまざまなサポートを提供できる女性センターに投資しているのもそのためだ。

司法省はこれまでに女性受刑者に対するコミュニティー政策に500万ポンド(約7億円)を投じており、罪を償い、犯罪生活に背を向けるために必要な支援を提供できるようにしている」


ここからリリーさんの人生はさらに転落の一途をたどることになる。

「ただただ酒を飲んだ。毎週逮捕され、毎週拘留された」

リリーさんは自殺未遂を5回繰り返し、メンタルヘルス法に基づいて心療内科に2度強制収容された。最後に自殺を図ったときに頭をよぎったのは、これが成功したらどれほど子どもたちに苦痛を与えるかということだった。それが転換点となった。

「その日からはただ『ちょっと大変なことが待ち受けているけど、やるしかない』とだけ考えるようになった」

リリーさんはこれまでにも女性の保護施設に入れられ、中毒症状の緩和に努めようとしたが、そのたびに失敗していた。しかし、この時は立ち直ろうとした。

「その時は『神様、私は強いはず、できるはずです』と考えていた。ちゃんとできた」

大人になって初めて、リリーさんはアルコールからも薬物からも解放された。裁判まで6カ月というタイミングだった。しかし、自分の人生を取り戻したと思えたのは判決の日、刑務所にどれだけ長く閉じ込められるのかが決まった日だった。

刑務所の車が停まり、ドアが開くと、6月のまぶしい日光が差し込んできた。リリーさんが座っているところからは、服役囚が花壇の手入れをしているのが見えた。

リリーさんは開放型刑務所への入所を認められ、新しい刑務所へと移送されたのだ。

すぐに、20カ月に及ぶ閉鎖空間での生活が自分に及ぼした影響を知った。これまでは自由に歩き回ってコーヒーショップに行くことを楽しみにしていたが、実際には不安だらけだった。

リリーさんはかつて、刑務所職員を「先生」と呼ばないと誓ったが、ここでは服役囚が職員を下の名前で呼んでおり、それはそれで不思議に思えた。

そして突然、誰も自分を必要としていないようだった。

前の刑務所では役割があった。自分より状態の悪い服役囚の世話をすることに目的意識を見いだしていたが、ここでは何をすればいいのだろう?

裁判が行われた時から、リリーさんは毎日、被害者のことを考えていた。被害者たちが証言台に立ち、いかに信頼と貯金を奪われたかを語ったのが、リリーさんにとっては唯一、痛々しいほどに現実的な場面だった。

「もちろん被害者が財産を失ったことを申し訳なく思っているけれど、それよりも、被害者が自分たち自身を失ったことについて考えていた」とリリーさんは話す。

「私が個人的に彼らにやってしまったこと、そのせいで悲しくなる」

ヨークの中心街に向かうにつれ、クリスマスの飾り付けがどんどん増えていった。雨が降っていたが、リリーさんはゆっくりと歩き、街並みや音を楽しんだ。

この日はコミュニティーへの復帰プログラムの一環で、外出が許された最初の日だった。街を新しい目で見るようで、興奮で頭がくらくらした。すべてが輝いて見えた。

リリーさんは恐る恐る歩道を歩いた。人とすれ違うたびに「ごめんなさい、ごめんなさい」と言った。しかしその居心地の悪さも、深い喜びでかき消された。

ある店ではピンクの傘を買った。別の店ではぶどうを1房。質問しようと店員を呼び止めたが、どうやって会話を始めればいいか分からなかった。「すみません」を忘れていたのだ。

それから、喫茶店に入ってマシュマロ入りのホットチョコレートを飲んだ。それが3.8ポンド(約520円)したことが信じられなかった。これまで、お金について考えなくてはならないことなどなかったのだ。

酔っ払いがリリーさんに近付いてきて、きれいだねと話しかけてきた。他の客はじっとにらみ付けてきたが、リリーさんはありがとうと返した。誰かが自分の存在に気づいてくれたことが嬉しかった。

その晩、刑務所に帰りながら、リリーさんは頭の中でおまじないを繰り返した。

「私は命を愛している。私は命を愛している。私は命を愛している」

リリーさんはその後、刑務所外で働くことが許可された。職場の同僚がクリスマスパーティーに招待してくれた時は涙を流した。罪を犯した子どもや若者を指導するプロジェクトにも参加した。子どもたちが自分よりも良い選択ができるよう祈った。

娘のイッシーさんとは、今まで以上に仲良くなった。

「暴力的な恋愛関係の中でひどく殴られていた場合、被害者の女性は生き延びることしか考えられず、子どものことすら考えるのが難しくなることがある」と、18歳になったイッシーさんは話す。

母親のリリーさんが刑務所に入れられたとき、イッシーさんもつらい思いをした。しかし今では、母娘としての関係を築く余裕がある。

リリーさんは時々イッシーさんのアパートへの外泊が許される。そうした夜には2人でソファに座り、互いの存在を確かめ合っている。

リリーさんはDVについてのカウンセリングに参加し、支援を受け始めた。セラピストは習慣をコントロールすることや、習慣を認識するやり方を教えてくれる。家庭環境がDVに与える影響についても話してくれた。リリーさんの場合は、自分が養子だと知ったときから感じている疎外感だ。リリーさんは、実の両親を探す手伝いをしてくれる福祉職員と連絡を取った。

そして、小さい頃から求めていた答えが、ついに明らかになった。

産みの母親は数年前に亡くなっていることが分かったが、実の父親は生きていた。最近、配偶者と死に別れていたため、葬儀会社が住所を教えてくれた。

リリーさんは父親に手紙を書いた。彼に悪感情は持っていないこと、望んでいないならもう連絡はしないこと、ただただ、会いたくて手紙を書いていること。

3カ月後に、父親から電話があった。ジャマイカなまりのある優しい声だった。父親はリリーさんが通っていた学校からわずか10分のところにある工場で働いていたこと、その工場が、リリーさんの実の母親が働いていた場所の隣だったことを教えてくれた。

その母親もまた、DVに悩む結婚生活を送っていた。夫が刑務所に服役している間にリリーさんの父親と出会い、短い間不倫関係にあった。しかし母親は白人だったため、妊娠が発覚した時、人種の混ざった子どもをそばに置くことはできなかった。

「母もうつを患っていた。私ととても似た人だったようだ」とリリーさんは話す。

「母が最も気にかけていたのは、夫の機嫌をうかがうこと。それはよく分かる。私もずっとそうやって生きてきたから」

話を聞きながら、リリーさんは実の母親を守れたらどんなに良かっただろうと思った。

父親と初めて対面した日、リリーさんは父親の車の中で、手を握っていいかと訪ねた。

リリーさんは全てを話した。詐欺のことも、中毒のことも、暴力を振るう男のところにとどまり続けたこと、彼らの威圧的な態度や暴力をいびつな愛の形だと思っていたことも話した。父親は涙を流してリリーさんに謝った。

それからしばらくして、父親がリリーさんに電話をかけてきた。そして、リリーさんは素晴らしい娘だ、父親としての愛を感じたと語った。

それは、リリーさんが人生を通じて一番聞きたかった言葉だった。

ある午後、リリーさんはヨークの街でコーヒーを飲んでいた。職場の休憩時間だった。彼女の前を行き交う人たちは誰一人として、この清潔な服を着た落ち着いた女性が夜には刑務所のベッドで寝るとは思いも寄らないだろう。

自由はまだまだ先の話だ。しかし、若い受刑者と共に働く日々は、リリーさんの暮らしに意味を与えていいる。イッシーさんとの関係も改善している。

何より、これまでの人生でずっと手に入らなかったもの、探していたのにつかめないところにあったものを見つけたとリリーさんは語る。自尊心だ。

「自分のことを好きだなんて一度も思ったことがなかったけど、今は本当に、自分が大好き」

(英語記事 'The day I went to prison, I got my life back'