やはり、韓国の報道に慌てて姿を見せた対応は解せない。北に何かがあった、と判断するのが本筋だろう。指導部は「不安定化により、指導者の求心力と指導力が低下している」と判断されるのを恐れたのではないか。

 もしくは、追い詰められた統一戦線部の勢力が「南につながるスパイがいるから摘発すべきだ」と反抗に出たのだろうか。北朝鮮の高官はこの能力もなければ生き残れない。

 こうして、過去3カ月を超える平壌内部の動きは、軍部や情報工作機関、側近を巻き込んだ勢力争いが展開されている事実を浮き彫りにした。軍部は「核放棄」に強く反対し、米朝首脳会談の失敗に反発している。

 平壌からの情報によると、駐スペイン大使館襲撃事件の責任と米朝首脳会談失敗の責任追及がいまだに続いている。調査の焦点は先述の通り、米国のスパイ摘発だ。

 その中で、「金正日(キム・ジョンイル)の料理人」として知られた藤本健二氏(仮名)も米国のスパイ容疑で調査を受けている。2016年に平壌へ戻った翌年に日本料理店を開いた藤本氏は1982年初めて訪朝し、2001年に帰国した。

 その日本滞在の時期に、CIAの高官とひそかに接触して資金を受け取り、金委員長に関する極秘事項を漏らした、とされる。それも、絶対に口外してはいけない秘密だった、というのだ。

 動静が確認された金英哲氏も、まだ決して安泰ではないといわれる。彼には、前任者の金養健(キム・ヤンゴン)統一戦線部長を暗殺したとの疑惑がつきまとっているからだ。英哲氏は与正氏と親しく、その関連で与正氏も調査を受けたのだろうか。

 だが、北朝鮮の常識からすると、指導者の実力ある妹が軍や工作機関の調査を受けることはありえない。もしあったとすれば、軍の秘密調査機関にしかその権限はない。つまり、軍と金委員長の間に緊張関係が存在することになる。
藤本健二氏=2010年10月(原田史郎撮影)
藤本健二氏=2010年10月(原田史郎撮影)
 平壌では多くの外務省職員が粛清され、統一戦線部の高官も追放された。米国のスパイ摘発が終了し、態勢と戦略が建て直されるまで、米朝首脳会談と日朝秘密交渉は再開されないだろう。

 それでも、北朝鮮には経済的、外交的余裕も時間もない。年末までには、日朝、米朝関係で新たな展開が見られることであろう。