富坂聰(ジャーナリスト、拓殖大学海外事情研究所教授)

 香港では、中国本土への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正に反対する市民の怒りが爆発した。

 6月16日に行われたデモでは、主催者発表でとうとう200万人を突破したという。本当なら香港市民4人に1人が参加した計算だ。香港政府側も、条例改正の審議を無期限に延期せざるを得ない事態に追いやられ、トップの林鄭月娥(りんてい・げつが)行政長官も謝罪に追い込まれた。

 これをもって民意の勝利とする声も聞こえてくる。しかし、その判断は時期尚早と言わざるを得ない。

 なぜなら、香港の人々の不満は、単に逃亡犯条例にのみ向けられたものではなかったからだ。実は、この問題は、どこに着地しても双方にわだかまりの残る構造を抱えていたのである。

 では、その根本の構造とは何なのか。逃亡犯条例問題の背後にある「一国二制度」という制度の不安定さについて、できるだけ多くの視点から掘り下げてみたい。

日本記者クラブで会見する香港学生団体の元リーダー、周庭さん=2019年6月10日
日本記者クラブで会見する香港学生団体の
元リーダー、周庭さん=2019年6月10日
 そもそも「一国二制度」とは、中国共産党が対台湾政策の中で生み出した政策である。鄧小平が実権を握った1979年、従来の武力解放から平和統一への政策転換が行われる過程で生まれた考え方だ。

 ゆえに、中国から見たとき、それはあくまでも中国自身の「軟化」の結果であり、「与えた」制度なのである。一方、香港の人々にとって同制度は、自らが獲得した「不可侵」な権利として認識されていて、彼我の認識は出発点からズレている。

 かつて鄧小平は、英国と香港返還交渉に臨んだ際、返還の条件を提示しようとしたサッチャー首相を制し「われわれは明日にでも力で取ることもできる」とすごんだことがあったが、これは中国の本音である。国家間の攻防が住民を置き去りにするのは国際政治の「あるある」だが、このときの英国と中国の交渉も香港の人々の意思とは無関係に進められた。