誤解を恐れずに書けば、英国は香港返還後も大きな権益を確保したかったがかなわず、ちょっとした意趣返しのように選挙という制度を「置き土産」としたのである。自らの統治下で香港人に投票権など与えたことのなかった英国に、中国は「偽善」と反発。彼らの残した選挙制度を中国への挑発ととらえ、返還後の攻撃目標と定めたのである。

 一方の中国は、台湾の人々に統一後の平穏を演出する具体的なモデルケースとして、また中国経済をけん引する役割を期待して、香港の現状維持、すなわち「一国二制度」に利用価値を認めたのだった。1997年の返還を経て、香港の人々には生活する上での大きな支障はなく、「一国二制度」をはさんだ大陸と香港の関係に荒波が立つことはなかった。

 だが、変化は確実に起きていた。

 一つは、中国から見た香港の地位低下である。露骨な表現をすれば、香港はもはや「金のなる木」ではなくなったということだ。

 鄧小平が始めた改革・開放政策の初期、ほとんどの日本企業は香港を拠点に対中ビジネスを展開していた。それが、今や直接大陸と取引しているし、金融センターとしての地位も上海などに奪われる運命が見えてきている。

 長い将来を見据えれば、金のなる木どころか、「重たい一地方」になる可能性が出てきているのだ。そのことを意識し始めた香港人が、実は意外に少なくない。

 こうした変化に伴って、香港の人々の生活が大陸からのマネーで圧迫されるようになったのである。象徴的なのが不動産である。
記者会見する中国外務省の耿爽副報道局長=2019年6月14日(共同)
記者会見する中国外務省の耿爽副報道局長=2019年6月14日(共同)
 チャイナ・マネーが値を釣り上げたことで、香港の人が手の届くマンションが郊外へと追いやられたのである。このほか、教育現場でも有名な学校から地元の子供たちが押し出されてしまう現象も起きてしまった。

 不満を高める一方で、香港経済は大陸からの観光客への依存を強めるという矛盾も、香港の人々のストレスとなった。問題は、大陸からの観光客が金満ぶりを発揮する一方で、お行儀が悪いことにある。ほどなく彼らは軽蔑の対象となり、両者にギスギスした雰囲気が生まれた。