林鄭行政長官が今回も中国の指示に忠実に従おうとしたことには一つの伏線がある。昨年11月に林鄭行政長官を代表とする香港マカオ各界代表団が北京を訪問した際、習近平主席が「急不得、慢不得」「明日復明日、明日何其多」と述べたという。「何事もすぐにはできないが、その気にならなければいつまでたってもできはしない」という意味らしいが、同席した団員は「23条立法」が進まないことへの叱責(しっせき)だとピンときた。

 23条立法とは、返還後に香港政府が制定するよう基本法(香港の憲法に相当)23条に定められた、政権転覆や国家分裂の反体制行為を禁じる「国家安全条例」のことである。2003年に当時の董建華(とう・けんか)行政長官がやはり強引に成立を図ろうとしたが、50万人デモに遭い、撤回を迫られ廃案となった。これで「死に体」となった董長官は体面を保つ形で05年、体調悪化を理由に辞任した。

 これ以来、23条立法はどの長官も手が付けられず、林鄭行政長官も前述のように社会の亀裂修復を優先させ世論を二分する条例制定は後回しにしていたが、締め付けを強める習主席は2015年7月、国内で国家安全法を成立させ、香港にも同条例の制定を強く迫っていた。主席の不興を買った林鄭行政長官の心中は想像に余りある。こうした状況の中で課された逃亡犯条例の処理は速やかに終えなければならないのである。

 今回の逃亡犯条例「改正」の直接のきっかけとなった台湾での殺人事件については、容疑者の身柄引き渡しを求める被害者遺族の声や、このままでは香港が犯罪者の逃亡先となって治安悪化を引き起こすという大義名分があり、中国政府も強行して大きな問題はないと甘く見ていた節がある。多少は紛糾しても最後は数で押し切れると思ったのだろう。

 5月21日には香港を担当する中国の韓正副首相(政治局常務委員序列7位)が、北京を訪問した香港からの代表団にわざわざ同条例改正を支持すると明言、共産党の香港出先機関(中聯弁)は現地財界や親中派議員に踏み絵を踏ませ、引き締めに躍起となる。

 しかし、経済界はそもそも香港の閉塞感を強めるような同条例には乗り気ではなく、親中派議員も今年秋には区議会議員選挙、来年秋は立法会議員選挙を控え、これだけ市民の反対の強い案件で目立ちたくはない(2003年秋の区議会選では、国家安全条例に賛成した親中派が歴史的大敗を喫した)。表面上は支持せざるをえないが、心の中では政府が撤回してくれないかと期待しているのである。体を張って長官を守るべき側近はその答弁能力を見ても何とも頼りない。
香港の政府本部庁舎で記者会見を終え、退出する林鄭月娥行政長官=6月18日(共同)
香港の政府本部庁舎で記者会見を終え、退出する林鄭月娥行政長官=6月18日(共同)
 こうした戦意の乏しい兵を率いながら林鄭行政長官は9日のデモ後も強気な発言に終始した。月末の20カ国・地域首脳会合(G20)前に決着をつけておくことが必要とされたのだろう。予定通りに審議強行を表明していたが、行政会議(行政長官の諮問機関)トップや政府OBが再考を進言するなど情勢判断の誤りが誰の目から見ても明らかになった。

 任期を3年残して完全に求心力を失った長官に対し、勢いづく批判勢力はその首に狙いを定める。しかし、中国も行政長官の執政能力に疑いを抱きながらもここでやすやすと首を差し出すわけにはいかない。国家安全条例を成立させるまでは退くことも許されないのである。