1869(明治2)年、日本政府はこれまでの法体系を整理して、文明開化の道を歩むための刑法の整備に着手した。そのときに早くも人身売買の問題が取り扱われている。すでにこの段階からして、婦女子が借金や多額の前渡し金によって人身拘束されてしまうことが問題視されていた。いわく「人を売買することは古来あるまじき事なり。和漢西洋ともに、古来から人を売って奴婢(ぬひ、奴隷)とする悪風がある。奴婢は人を牛馬と同じで、人道開明(人権意識)が広がるにつれてなくなりつつある。ところが皇国には今なお娼妓がいて、それは期限を区切って売られたものである。牛馬と同じである。娼妓がいるため、女子を売買する悪風がある」(『人身売買』牧英正著/岩波新書より意訳)

 このため1870(明治3)年の段階から、人を売春目的で売ることや、奴婢とすることは違法とされていた。ただし自由意志であればそれは致し方ないともしているのは欧米でもそうだったからだろう。そして、のちに国家が売春の商行為を管理するようになる。これが「公娼制」である。ここでも、建前上は前借金により自由を拘束されるようなことは禁じられてきた。しかしこれはあくまでも建前であった。事実上、借金を支払わぬ限りは、彼女たちの自由は制限されてきた。

 日本では長らくこのような人身売買が平然と行われてきたわけである。これは江戸時代から戦前にいたるさまざまな娼妓・娼婦をめぐる物語によって広く伝えられていることでもある。そして、それは悲劇的であるとともに、美談のようにさえ扱われてきた。親の借金を支払うために、健気(けなげ)に働く孝行ものというように。「おしん」のような、年少者の奉公や富岡製糸場の女工も、この一つのバリエーションである。

 そしてこの悪習は、東南アジアの各地にたくさんの娼婦を送り込み、やがてそれを植民地である朝鮮や台湾にも広めていき、さらには戦時になると軍がこの慣習を利用して従軍慰安婦制度をつくっていった。

 従軍慰安婦について、さまざまな議論がなされているが、まずは私がこのような日本国内の事情について考えたい。国際的な認識からすれば、これは奴婢と同じ奴隷制度であり、人道開明が広がる(人権意識が高まる)につれ、許されないことになりつつあるというのは、もう150年前から分かっていながら、なおも日本人はそれを必要悪として許してきたのである。慰安婦問題の根底にはこの事実がある。

 映画『主戦場』を見た。

 従軍慰安婦というのは「娼婦にすぎなかった」として日本軍の責任はなかったとする、いわゆる保守の慰安婦否定派に、さまざまな角度から批判を与えるドキュメンタリーである。慰安婦は「性奴隷」などではない、という否定派の意見も小気味よく反論されていく。整理された論旨は非常に分かりやすい。
映画『主戦戦』(C)NO MAN PRODUCTIONS LLC
映画『主戦戦』(C)NO MAN PRODUCTIONS LLC
 ドキュメンタリーというのは残酷である。書き言葉とは違い、微妙な言葉のニュアンスや子細な表情までをも映し出してしまうし、インタビューの服装や髪形までの総合的な情報までもが提示される。それらが多角的にスクリーンに提示されながら結論が導き出される。

 従軍慰安婦問題を日本の戦争加害の一つとして解決しなければならない問題だと認識して考える人には、痛快で胸のすくようなドキュメンタリー作品となっただろう。

 だが、本当にこれでいいのかというモヤモヤ感は残り続けている。ここまでそんなに単純なものなのだろうかと。