確かに新生児をお風呂に入れる沐浴は、神経も使うし私も苦手だった。私はけっこう不器用なので誤って息子を湯の中に落としてしまったら、耳に水が入って中耳炎になったら…と頭の中で色々と考えてしまって、いつも緊張していた。それに比べて、家事は気楽だった。実は家庭で喜ばれるのは意外と育児の業務よりも、家事の業務の手伝いなのかもしれないと思っている。

 ちなみにミルクをあげるのはわが家では取り合いだった。特に私の義父と私の間では、何気なく取り合いになっていたのだ。その反面、食器洗いや掃除などは私が負担すると感謝される。家事の戦闘力を身に着ければ、育児休業の取得も家庭内では大いに歓迎されることとなる。

 これまで縷々(るる)、男性育児休業の意義をはじめ、取り巻く環境と課題および解決策について述べてきた。しかし、最も大きな敵は何かというと、それは育児休業制度を利用しにくい「空気」だ。

 先の「育児休業を取得しなかった理由」の回答結果で、最も多かった項目が「職場が育児休業を取得しづらい雰囲気だった」というものだ。これは男性だけではなく女性も同様なのだが、この雰囲気・空気によって取得したくても取得できなかったということである。これだけ育児休業制度が周知されても、この見えない壁が大きく立ちふさがっていて取得への一歩を踏み出すことができない。この空気を大きく変えていくためにも、社会全体でこれからの日本を支える次世代を産み育てていくことへの理解と協力を醸成していかねばならない。

 先日より自民党の有志が声をあげ「男性育児休業の義務化」を謳(うた)っている。この真の目的は制度改正としての義務化ではなく政治的なメッセージとして「義務化」という言葉を使っている。目指すものはこの見えない空気の壁を壊すことだ。

 特に世代間においてのギャップも極めて大きい。それは政治の世界でも同様だった。いわゆる、保守を標榜(ひょうぼう)する人たちは特に反対勢力だった。男が飯炊きをするなどありえない、という温度感だった。これでは社会で活躍する女性が子供を産み育てることは困難だと肌で感じた。彼らに対しては、次の言葉が喉元まで出かかった。はっきりと「女性は働くな、家で働け」と公言すればいい、と。

 さらに、これからの日本では介護休業問題にも直面することになるだろう。介護は育児よりも過酷な現実が待っている。育児は年々子供が成長するためにゴールがだんだん迫ってくる。しかし、介護はいつまで続くかわからない上に、容体は悪化する。育児休業に対しての理解ができないのであれば、介護休業についての理解はできるのだろうか。

 子供は国の宝である。子供を大切にできない国に未来はない。若者が将来に希望を持ち、安心して仕事をし、落ち着いて家庭を築ける社会にしなければこれからの日本に希望はない。令和の時代を迎え、新たな空気の中で、もはやきれいごとではなく地に足の着いた子育て支援の環境整備を推し進める必要がある。
※写真はイメージです(GettyImages)
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 そのためには政治が努力するだけでは難しく、国民一人一人が意識を変え、目先の利益ではなく「将来の日本のために」という視点を強く持つ必要があるのではないだろうか。男性の育児休業を認めて浸透させていくことは、その第一歩であると私は考える。

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