そんなジャニーさんには、食事だけでなくテレビ局や撮影所のほか、コンサートや映画にも連れて行ってもらった。ジャニーさんと2人で移動することも多かったが、ときには6人7人も乗ってドライブしたこともあり、一度警察に注意されたことがある。当時ジャニーさんの車はクラウンで、ベンチシートのコラム式という前後3人ずつ座る6人乗りのセダン。最近ではあまり見られないがタクシーによく使われているタイプだ。

 ジャニーさんは警察に堂々と「7人乗りです!」と言い切っていたのをおぼえている。当然、警察は納得しないが、「僕(ジャニーさん)から見たら6人だ」とわけの分からない持論で説き伏せていたのが印象的で、今になって思えば面白すぎる深夜のドライブだった。

 このように、一時期、僕はジュニア(CDデビュー前の所属タレント)の中でも、ジャニーさんと2人で出かけることが群を抜いて多かった。だからこそ思い出も多く、ジャニーさんのビジネスを傍らでよく見せてもらった。

 特に「歌謡祭」の出場が盛んだった1980年代の12月はほぼ毎日リハーサルが行われ、年末3日間は本番のステージをハシゴして回ったが、このときのジャニーさんは社長というよりマネジャーというイメージで、ジュニアを含むタレントたちの世話で走り回っていた。衣装を抱えて走り回りながら、さまざまな事務所のスタッフやタレントたちとの調整などをテキパキとこなす姿が印象深かった。

 ジャニーさんが芸能界に入った当時は渡辺プロダクション(ナベプロ)のスタッフだったことから、ナベプロのタレントたちとのやりとりが多く、ジュリー(沢田研二)と会話している姿を間近で見られたのは至福の喜びだった。そもそも、僕はキャンディーズとジュリーにあこがれて芸能界を目指しただけに、そんな夢のようなことがジャニーさんといると日常的だった。

 ちなみにナベプロでジャニーさんが初めて手がけたタレントは、実は森進一だ。スカウトから育成まで担い、世に送り出した。だから森進一の息子のTaka(現ONE OK ROCK)を預かったことがあり、親交はずっと続いていた。

 森進一を手掛けた後、「ジャニーズ」(4人組)をナベプロからデビューさせて独立し「ジャニーズの事務所」という意味で「ジャニーズ事務所」を設立した。自らの完全マネジメント「フォーリーブス」で大当たりし、郷ひろみでソロの成功、川崎麻世やたのきんトリオと、複数のトップアイドルを生み出し、手腕を発揮した。

 同時に「リアリスト」(現実主義)のジャニーさんは、音楽への取り組みは素晴らしくステージは常にバンドによる生演奏にこだわっていた。テレビより「舞台」や「コンサート」に重点を置き、「生」の素晴らしさへの熱意は人一倍。世界一の記録保持者である動員や回数など実績が証明しているように、「生」の迫力を追求してきた結果がジャニーズだ。一時期は「口パク」とか「カラオケ」とか揶揄(やゆ)されてきた時代もあったが、ジャニーさんはステージでは常に本物のビジュアルと音楽で勝負してきた。

 現場に足を運び、設営から音響や照明を必ず自らチェックするのは当然だが、ステージに立ちキャストが数十人からなる構成でも全体の動きを詳細に把握する能力はずば抜けていた。「ユー、間違えたでしょ」「ユー、落ちたでしょ」とかよく言われたが、大勢が舞台にいるのになぜ分かったのか不思議だった。
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
※写真はイメージです(ゲッティイメージズ)
 その感動を実体験した人は魅了されて虜になり、決して離れられないジャニーズワールドにハマってしまう。ジャニーズのステージを見たことがない人たちに言いたいが、テレビや雑誌のレベルで知り得たのは本物ではなく、真実は舞台にあり、これを見ずして判断してほしくはない。だからこそ、その強い意志を継げるのは、ジャニーさんが舞台演出のセンスと実績があるとして後継指名した滝沢秀明なのだ。